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【自己紹介】彩香 | ハンガリー

彩香~Ayaka~ 職業:ピアニスト

こんな格好して演奏するピアノ弾きです。

いわゆるクラシックっぽい感じでなく、自分が好きなスタイルで演奏することで、堅苦しいイメージだと敬遠されがちなクラシック音楽が、少しでも身近に感じてもらえたらなぁという思いがちょっとだけあります。

 

私は、2003年~2005年までの約2年間、リスト音楽院の留学生として、2014年から2017年までの約3年半、日本人宿の経営や音楽活動、日本語教師をしながら、ハンガリーで生活していました。

現在は日本に拠点を移し、音楽活動をしています。

 

このブログでは、ハンガリーに留学している皆さん、また、ハンガリーへの留学を考えている皆さんに、私の大好きなハンガリーの魅力をお伝えしたり、生活に便利な情報を提供できたらと思っています!

 

まずは自己紹介をしますね。

 

〈生い立ちとピアノとの出会い〉

青森県青森市で生まれました。

2歳の頃 純真無垢なわたくし

3歳の時に某ヤ〇ハ音楽教室の幼児教室でエレクトーンを習い始めました。

5歳の時、幼稚園でピアノを弾く友達を見て、(何て素敵な音色!ピアノの方がいい!!)と、ピアノに転向。

ピアノを始めた頃

始めてからしばらくは、ヤ〇ハで培った読譜力で楽譜一冊を1,2週間ですべて弾ききるペースで、どんどん進んでいきました。

読譜力や初見力はあるものの、しっかり一曲の曲として仕上げる根気強さには欠けるという致命的な欠点が(笑);

でも、小学3年生くらいまでは、私のいいところを伸ばしてくれようとする先生の元で、伸び伸びと育ちました。

 

小学生高学年になり、音高受験も視野に入れ始めた頃、青森には音大受験まで行ける指導力のある先生がいないという問題に直面。

青森は田舎なので、例えばこの楽譜が欲しいと思ってもなかなか手に入らなかったり、赤いドレスが欲しいと思っても、青森市内に2、3軒しかないデパートにやっと1着だけあって、デザインまでは選べず・・・というような環境;(今だったら、ネットで買えるんでしょうが。。。)

青森らしい光景・・・言い換えると、自然がたくさんあっていいところです☆

ピアノの先生に関しても同じで、コンクールの審査員だった東京の先生に直談判し、一週間に一度、東京にレッスンに通うようになりました。

 

〈挫折と再挑戦〉

ここで、今まで弾き飛ばしてきたやり方は通用せず、初めての壁にぶち当たります。

初めて、弾けなかったところの反復練習という、地味な作業をするように訓練されたり、作曲家の意図を考えたりするようになりました。

音高受験も考えているならと、ソルフェージュの先生にもつき、一時期は青森にピアノの先生が一人、ソルフェージュの先生が一人、東京にもピアノの先生とソルフェージュの先生が一人ずつと、計4人の先生がいるという状況に。。。

しばらくそんな生活を続けたある日、それぞれの先生が言うことがバラバラだったり、夜行バスなどで東京に通う生活に疲れてしまい、レッスン中に「ピアノ嫌いになったんでやめます!」バーン!!と鍵盤を叩いて、泣きながらピアノ教室を飛び出しました。

次々とぶち当たる壁に立ち向かう意思も覚悟もなかったこの頃の私は、色々と未熟でした。

それが中学2年生の時かな^^;

 

そこから3年くらいは自宅のピアノにも鍵をかけ、一切触らずに、高校も地元の進学校に入学しました。

今から思うと、高校の頃から音楽を志す人達だけに囲まれた、音楽漬けの生活ではなく、進学校で様々な進路を目指す人達と過ごすことのできた時間は、色々な世界を見ることが出来てとても貴重だったと思います。

中学の頃までは、大して勉強をしなくても授業にはついていけましたが、高校に入ると周りは皆勉強熱心だし、努力をしなければ通用しない科目もたくさんありました。

努力の苦手な私は、感覚だけで解ける数学だけはまぁまぁ出来ましたが、他の科目は下から数えられる順位ということも少なくありませんでした(笑)。

この高校では、2年生になる時に文系クラスか、理系クラスかを選ぶんですが、(数学が好きというだけで理系を選んでいいのか・・・頭のいい同級生たちが東大、京大受験を目指す中、その中に交じって勉強できるのかなぁ?)と悩みます。

結局、どんな進路を選んでも努力は必要ならば、ずっと続けられる好きなこと・・・と考えて、(やっぱり私にはピアノしかない!)と、ピアノを再開、音大を目指すことを決めます。

一度はやめてしまった東京の先生にもお願いし、元々入りたかった国立の東京芸大を目指します。

 

一度目の受験は失敗。どうしても私立の他の音大ではなく東京芸大に入りたかったのですが、二度目も失敗し、ついていた先生が芸大の他に非常勤講師を勤めていた武蔵野音楽大学に進学しました。

私はこの二回の受験で、小さい時には経験したことのなかった緊張に見舞われ、実力を思うように出せませんでした。

(絶対芸大に入りたい!!!!)という気持ちが強く、(自分の実力以上にうまく聴かせたい!)と気負いすぎたせいかなぁと・・・持てる力も発揮できなくなるくらいなら、緊張するだけ損。今ある一番のパフォーマンスが出来ればいいじゃないかという教訓を得、その後の本番では緊張により大失敗ということは少なくなりました。

 

〈東京での生活〉

何もない青森から上京した私は、見るものすべてが新しく、また好奇心旺盛な性格も手伝って、一通りの娯楽は経験したと思います。

楽しい毎日ではあったのですが、物や人に溢れる都会で、満たされているはずなのにいつも心にはぽっかりと穴が開いたような気分でいました。

常に目移りするほどの情報量に溢れ、先ほどの例えで言うなら、赤いドレスを選ぶにも、何百とある中から選択する毎日、浪人生活と大学生活の計5年間で、少しずつ心が疲弊していった気がします。

 

大学2年の時には初めての海外、音楽の短期留学で≪音楽の都≫ウィーンに行きました。

これは去年の写真ですが、ウィーンのシェーンブルン宮殿です☆

その時習った先生は、たばこもお酒もこよなく愛し、女遊びも激しい人で、日本の音楽の先生からは程遠い印象に衝撃を受けました。

「どうしてそんなスタイルなの?」と聞くと、「君たちが今演奏している作曲家たちも、お酒を飲んで、たばこも吸って、沢山の恋愛をしながら曲を作ってきたんだよ。それを表現する私たちは、その気持ちがわからなきゃ」と笑いながら話していて、その自由さに憧れが芽生えました。

 

音大時代の私は、何故かパンクファッションに身を包み、髪の色も赤だったり金だったり、坊主にしてみたりと、周りの上品な音大生からは浮いてしまうような生徒でした;

大学時代のあたし(金髪のヒト)
右から二番目、一人だけロッカーがいますねw

赤の上下ジャージで入間(埼玉の、割と山の中にあります・・・)の校舎に行き、「学校に来ているんだから、TPOを考えて」と呼び出されたときには、「この山奥でパンプスを履いているよりよっぽどTPOに合ってると思います!!」などと、屁理屈をこねたりしました^^;

心のどこかには、どうしても入りたい大学じゃなかったという思いがあり、練習もあまりしない問題児だったと思います;

 

少しの息苦しさと、憧れから、音楽留学という夢をぼんやりと描くようになったのはこの頃でした。

 

卒業間近にそのことを先生に言うと、「今度ハンガリーから先生が来るから、レッスン受けてみたら?」と。「紹介できる先生は二人いるけれど、一人はヘビースモーカーで、ついていた子によると、ざっくばらんな先生だから、そちらの先生の方があなたに合っていると思う」と勧めていただきました。

行ったレッスン室は、真っ白で何も見えなくなるほどたばこの煙が充満(笑)。。。

でも、そんな先生が一旦ピアノに向かうと、とっても優しい音色・・・(人の持つ本質は、外見や対外的なことでは判断できないなぁ、この先生につきたい!)とリスト音楽院への受験を決めました。

ハンガリーの恩師、バラニャイ先生 この先生が数年前、健康上の理由でたばこをやめた時には、門下生の間で衝撃が走りました!

〈ハンガリーへの留学~自由に息が出来る場所~〉

そんなわけで、留学を初めに考えた時には何となくウィーンかなぁと思っていたのに、蓋を開けてみたらハンガリーという、ほとんど聞いたこともない国・・・

不安もありましたが、受験で空港を降りた瞬間に思ったことは(あ、ここは自由に息が出来る場所だ・・・)

これまでの人生、青森でも、東京でも、どことなく息苦しい気がしていたけれど、初めて自由になれたような、自分らしくいることに、何の圧力も弊害もない生活が始まる予感がしました。

ゲッレールトの丘から眺めるブダペスト

予感は的中、教育にしても、文化にしても、個性を大切にする姿勢が至るところに感じられ、ハンガリー人の音楽はとても自由で、自身の表現や主張に溢れていました。

クラシック音楽が文化として根付いているハンガリーでは、お金がない学生にも素晴らしい音楽体験を重ねて欲しいという国の方針がしっかりしているので、オペラが150円で見られたり、リスト音楽院生は大学でのコンサートは無料で聴くことが出来ます。

ハンガリー国立オペラ座

そんな風に、かけがえのない音楽体験を重ねられたことは、今の私の音楽にもつながっていると思います。

留学時代開いたコンサート 音楽仲間にも恵まれました♪
上の写真と同じメンバーと空港で このメンバーとはユニットを組み、今も毎年コンサートを開いています♪

それから、ハンガリーでの日々の生活の中には、人間として必要な大切なことが当たり前のように沢山あり、ハンガリー人が持つ優しさにもたくさん触れることが出来ました。

こうして、私はハンガリーを大好きになりました。

いつか住みたいなぁという夢を抱くようになります。

 

〈ハンガリーへの移住〉

32歳の時、ずっと描いていた、ハンガリーに住みたい!を叶えるため、移住しました。

ハンガリーアゲイン

日本人宿『さくらんぼ』を経営し、週に一回の語学交換授業を行ったり、国際交流基金で日本語を教えたり、伴奏や室内楽、ソロを演奏したりと、沢山の仲間や機会にも恵まれ、充実した日々を過ごしました。

『さくらんぼ』では、週一回、ハンガリー語と日本語の語学交換授業を行っていました

 

ブダペストの日本人宿「さくらんぼ」 ー普段日本人宿を利用しない私が「さくらんぼ」をオススメする理由ブダペスト滞在中、お世話になった日本人宿「さくらんぼ」。 普段海外に滞在するときは、せっかく日本を出たのだから!と日本人宿を利用したこ...

 

また、ハンガリーでの生活は、日本にいる時には考えもつかないトラブルに見舞われたり、日本という便利な国ではありえないことも度々起こるのですが、その度に、本当に沢山の人に助けられ、人との繋がりを強く感じる毎日でした。

日本にいた時よりもずっと人と人とのつながりを意識するようになり、その出会いは私にとってかけがえのない、宝物になっています。

 

皆さんも目標を持って海外に出る留学生活を通し、出会う人達や経験は、その先もずっと、人生の核になると思います。

これから、よりハンガリーでの生活が楽しくなるコツや、皆さんの生活に役立つ情報をお届けしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします!

 

彩香~Ayaka~

ABOUT ME
彩香~Ayaka~
しがないピアノ弾き(クラシック奏者)です。2003年~2005年までの約2年間、リスト音楽院の留学生として、2014年から2017年までの約3年半、日本人宿の経営や音楽活動、日本語教師をしながら、ハンガリーで生活していました。現在は日本に拠点を移し、『彩香~Ayaka~』として音楽活動をしています。