チェコ留学からオランダに行き着いてフリーランスになった話
今回は、前回の記事「私のアムステルダム暮らし」の延長で、オランダはアムステルダムでの私の仕事と、どういう経緯でそこに行き着いたかを赤裸々に(?)書いていきたいと思います。このサイトを見ているのは私(昭和生まれ)よりはるかに若い年齢層だと思うので、需要があるかはわかりませんが、こんな道に進む人もいるよ、ってことでよかったらご参考までに!
アムステルダムで何やってんの?
ひとまず、私がアムステルダムで何をしてるかという話から。
現在はアムステルダムでフリーランスのWebエンジニアと、ライターとして活動しています。Webエンジニアとは、いわゆるWebサイトを作る仕事です。ざっくり言うと、Webページの目に見える部分を作ったり、その裏のWebサイトを動かしているシステムをプログラムしたりしています。普段はひたすらパソコンに向かってコードを書いています。そしてライターとしては、日本語でWebの記事を書いています。
チェコのプラハに留学する前は、日本の大学の国際関係学科を卒業後、東京で4年サラリーマンをしていました。(私がチェコにたどり着くまでの経緯はこちら)その時の仕事内容は、オフィス向け通販のオフィス家具のMD(商品選定したり商品開発したりカタログ作ったり)という、まっっったく今やっていることとは関係ないものでした。さて、そこから何がどうなって今に至ったのか。
目指していた方向に違和感。さてどうする?
プラハに留学した当初の目的は、大学院に行くための英語力を養うことでした。勤めていた会社も、「大学院で国際関係学をもう一回勉強したいんで辞めまーす!」と言って退職してきました。そういうこともあって、プラハ留学の後半は、大学全てが英語環境のニューヨーク大学プラハで短期留学生として、国際関係学系の授業を中心に受講していました。
留学中一番好きだった季節、プラハの秋。
さて留学生活も終盤に差し掛かり、今しがた自分の本心を確認してみました。
「大学院に行きたいか?」
ーーいや、なんか今じゃない気がする。
実はここまで素直になりきるまでは葛藤があったりなんかしたのですが、英語力への未だ残る一抹の不安と(自分の英語力に絶望した話はこちら)、限られた資金と時間を大学院に通うあと2年間、「学問をする」ことにかけるられるほど情熱があるのかと揺らぐ心と、なんというか、「これ今じゃない感」。
ただ日本に戻る気はさらさらなく、英語を引き続き使いながら進める道はないか考えてみました。そこで出てくる、会社を辞めようと考え始めた時に作った「死ぬ前にやりたいことリスト」。文系人間として歩んできた私ですが、理系への憧れを捨てきれず、そのリストの中に「理転する(理系に転向する)」「プログラミング」の二つがありました。
そして前職で好きだったことを振り返ってみると、商品開発段階で現地の工場に行ってあーでもない、こーでもないと、商品を仕上げていくことと、商品の撮影現場で、これまたあーでもない、こーでもないと一つのカットを仕上げていくこと。
ひっくるめると、「プログラミング」って、理系になりたい願望と、何かを作り上げていく過程が好きというクリエイティブなことをしたい願望の、両方を満たせるのでは?という結論に行き着きました。(途中インドでヨガ修行、なんて選択肢もあった。ヨガ好きだから。)
そこで見つけたプラハでプログラミングを勉強できる3ヶ月のプログラム。いろんな条件的に、これはやってみる価値があるかも!ということで面接を申し込み、無事受け入れが決定しました。そこで出会ったクラスメイトたちは、同じくキャリアチェンジをしようという人が大半で居心地が良く、毎日9-17時プログラミング漬けの日々もなんとか耐えられ、次に繋げられる基礎を身につけることができました。
毎日極寒だったプログラミング勉強中のプラハの冬。
アムステルダムへお引越し、フリーランスへ
本来だったらそのままプラハで就職活動をするつもりだったのですが、アムステルダムへ引っ越すことにしました。
というのも、プログラミングのクラスでオランダ人の相方(いわゆる彼なのですが、こっぱずかしいので相方で)に出会ったから。オランダのオの字も、アムステルダムのアの字も、自分のこれからのプランになかったのですが、「人生長いようで短いし、なんか迷うことあるっけ」と思い、「オランダで一緒に住まないか」という相方からのオファーをありがたく受けることにしました。
運河に浮かぶボートでも人々が暮らす街アムステルダム。
引っ越すと言っても住むにはビザがいるわけで、オランダではフリーランスとしてビザを取得することに。その時の選択肢は、フリーランスか、企業に雇ってもらってビザを取得するか。Webエンジニアとしては、経験値的にフリーランスになるのは時期尚早なのはわかっていたのですが、企業勤めはヨーロッパに来る前に経験したから、違う働き方を経験してみたい!という好奇心と、相方もフリーランスの道を行くということで、二人いればなんとかなりそう!というスーパーポジティブなフィーリングから、フリーランスになることを選択しました。
フリーランスになってみて
Webエンジニアとしては、ビザを取得してから3つのプロジェクトに参加しました。正直仕事をとってくる部分の営業は相方に丸投げで、まじ相方ありがとう状態です。仕事の仕方としては、相方と二人チームで業務分担しています。
仕事をくれた相手のオフィスで働くスタイルも、在宅で仕事をするスタイルも両方経験したのですが、在宅だとやっぱり通勤と外に出る準備をしなくてよくて、好きな時間に好きなスタイルで仕事・休憩できるのがすごくいい。(煮詰まったらソファでゴロゴロしたり散歩に出たり)逆にオフィスに通うのは、仕事面ではすぐに対面で相談や質問をでき、その他の面ではいろんな人とコミュニケーションを取れて、毎日外に出るので日常に発見があるのがいい点。
家で仕事をするときはダイニングテーブル、スクリーンは2つ。本当はもっと散らかっている。
ライターとしては、ブダペストやバルセロナに行って記事を書かせてもらいました。これも会社勤めをしていない、時間の自由がきく身だからこそできたお仕事で、肩書きを複数持って経験できることの幅が広がるのは素晴らしいなぁと実感。
一方でフリーランスとして、仕事をするのがどんな相手か、という面で難しい部分も早速あって、全然連絡返ってこない、やると言ったことが全然実施されない、しまいには最初に言ってたことと違うことを言われる、みたいなこともありました。
最近、アムステルダムで行われるIT系のフリーランス向けのミートアップに行くのですが、そこで「(報酬の)支払い期限全然守ってくれないからねー」とか「大きい企業と働くほどスピード遅くて小回りきかない」等々話を聞いて、「ああ、これはフリーランスとして働く限り起こりうることなんだなぁ」と、一時はオロオロしていましたが、いい意味で少し気持ちが楽になりました。
ビールサーバーが完備され、いい時間になるとビールが振る舞われるとあるオフィス。
フリーランスとして仕事を始めて1年弱、実は自分の中の気持ちの変化が早くも出てきて、次はWebエンジニアとして会社勤めに挑戦したいな、と考え中。というのも、やっぱり今の経験値での力不足も実感し、もっと早く成長して行くためには、自分よりも経験があるエンジニアと一緒に仕事をした方が学びが大きいと思ったのが一つ。
また、オランダで企業に勤めるのはどんな感じなのか覗いてみたいという、これまた新たな好奇心から。あとは、今年通い始めたオランダ語教室を通じて、やっぱり同じ目標を持って集まって何かをするって楽しいよなぁ、と単純に思ったこともきっかけになりました。
留学当初の目標が変わってもいい
会社を辞めて留学すると、「ただじゃ帰れねぇ…」みたいな欲と焦りが出てきます。そして留学の終わりには、必ず今後どうするか決断しなければなりません。私の場合、プラハ留学時は、留学当初の「大学院でもう一度国際関係を学んでその道を目指す」という目標に疑問を感じ始めたものの、「一度決めて公言してきたし…」とそれを変えることにどうしても抵抗があり、自分の中に生じたひずみにがんじがらめになって苦しんだ時期がありました。
悩みながらひたすらカフェに通ったプラハ時代。
でもふと立ち止まって、誰のための留学で人生?と考えると、他の誰のためでもない自分のための留学であり人生で、やっぱり、自分は心からやりたいと思えないとその先に進めない。「大学院に行く」というのは、会社を辞めて海外に行こうと決めた時の目標であって、いろいろなことを見て聞いて体感して、自分の居る位置をものさしで測り直して、最終的には自分の気持ちの変化を受け入れよう、という結論に至りました。
なにが言いたいかというと、一度決めたことに邁進するのも大事だけど、もしそれが本心でないと知ってしまったら、それよりも自分の今の気持ちを大切にしてもいいんじゃないか、ということ。
私はそこにたどり着くまで、日本からもプラハでも、いろんな人に相談に乗ってもらいました。周りの人にたくさん助けてもらい、いろんな運にも恵まれての今があります。オランダに来てからも、周りに本当に良くしてもらって、いつかどこかにでっかい落とし穴あるんじゃね…?と戦々恐々としていますが、今のところなんとかなっています。笑
今後の目標は、もっと自由になること。場所も時間も、仕事も家のことも、もっと自由に、自分の気持ちに素直に、「とらわれない」生き方をしたいです。そしてまたいつか、「勉強したい」という時が訪れた時は、大学院をもう一度目指したいと思います。
おわりに
ということで、プラハ留学後の私の進路をお伝えしました。まだまだ発展途上ではあるものの、プラハで再び学び始めた「英語」というツールを手に入れて、大げさですが人生の選択肢がぐっと広がりました。もともと嫌いな英語を諦めていたら、英語でプログラミングを勉強することもなければ、相方に出会うこともなく、オランダで全く違う仕事にもチャレンジしていなかったと思います。
留学で人生が変わるか、というと、「行くだけでは変わらないけど、自分次第で人生の方向性を変える大きなきっかけになる」というのが私の答えです。いろいろな人と出会って、いろんな価値観に直接触れて、それは自分の中で考えを構築していくための大きな糧になります。
もちろん嫌なことや乗り越えなければならないこともありますが、時間がたてばそれも人生のネタ。楽しいこと、辛いことひっくるめて、留学、おすすめです。