略歴
1988年九州生まれ、九州育ち。大学では国際関係学を学び、海の向こうを旅をすることに完全に心を奪われる。就職を機に上京。オフィス通販のMDとして商品開発やカタログ編集に従事。その後海外で暮らすことを実現するため、4年勤めた会社を退職、渡チェコ。1年半過ごす。縁あって現在オランダ在住。
自己紹介
「海外」「英語」「働くこと」の切り口で、私がチェコにたどり着くまでを綴ります。
海外と私
なぜかニュージーランド移住と冒険家になることにこだわっていた中学時代。のちに見返した通知表には、「冒険家だけが人生じゃないですよ」と担任からの言葉があり、どうやらかなり狂信的に冒険家を志望していた模様。真面目な話をすると、中学2年生の時に起ったアメリカ同時多発テロの衝撃で海外に興味を持ち始める。
高校の修学旅行で念願のニュージーランドへ。飛行機の窓から見る緑の色、ホームステイ先の家の窓の外に広がる景色、チーズの衝撃的なおいしさに、何もかも日本と違う、私の知らない世界が海の向こうにある!と感激し、さらに海外への熱が高まる。卒業後の進路を考えるにあたり、国際関係学という学問があることを知り、「国際関係」という言葉に敏感になる。国際関係学を学べる某公立大学のオープンキャンパスで目にした学生の生き生きした姿にいたく感動し、「絶対ここの大学しか行かない、落ちたら海外に旅に出る」と三者面談で担任を困らせる。
無事に志望していた大学に合格、自ら海外への扉を開けまくる学生生活の幕が開ける。大学時代初めて訪れた国はカンボジア、一番訪れた国もカンボジア。大学3年生の冬、周りが就職活動を始める中、その気がさらさら起きず休学、旅に出る。60Lのバックパックを抱えながら、カンボジアをはじめとした東南アジア、インド、ネパール、西はギリシャまで8ヶ月間、初めて日本を長期離れる。


就職してからは、出張で中国・台湾、長期休みで東南アジア、週末に上海・韓国等に出向き、「海の向こうに行きたい欲」は満たされるものの、「海の向こうに住みたい欲」は満たされず、チェコ・プラハに留学することを決意、念願の海外生活の一歩を踏み出す。
英語と私
幼少期と小学生時代、長らく英語教室に通うも、そこに通っていた事実と、ゲーム中に逆走して幼馴染に衝突、泣かせてしまうが石頭の自分は全く痛くなかったごめん、という出来事しか記憶に残らず、その後の英語人生において全くプラスにならず。
中学に入り始まった英語の授業では、”I am Mika.” “He is Ted.”の段階で、なんで”I”には”am”で、”He”には”is”なんだ…としょうもない疑問を抱え、つまずく。
”I”には”am”、”He”には”is”はどうしようもない事実で、言語の世界にはルールがあることをなんとなく理解し、その後なんとか挽回するも、大学の推薦入試で出題された英語の論文が全く理解できず、不合格になり英語人生最大の危機感を覚える。またそれと同時に私は英語が嫌いである、と認識する。
センター試験、一般試験までの残りの期間、志望校に行きたい一心で、英単語を書いて書いて書きまくり(書いて覚える派)、なんとか合格を手にする。大学時代の友人の影響もあり、英語に触れる努力をするものの、やはり好きにはなれず。それでもなんとかしたい気持ちが捨てられず、8ヶ月の旅中の3ヶ月間、フィリピンへ語学留学。英語はまかせて!の域には達しなかったものの、英語で何かを伝える、という気持ちのハードルが下がったことが最大の収穫。


就職してからは、海外経験とTOEICのスコアから「英語ができる人枠」に入れられるが、イメージは結局イメージのまま、英語を使って何かをするわけでもなく、何かをしようとしたところでそこまでのレベルには達しておらず、心も体も徐々に英語との距離が広がって行く。
しかしながら「海の向こうに住みたい欲」に従うためにはもう一度英語と向き合うしかない、と一念発起、チェコへ英語留学することを決める。
働くことと私
大学時代は、アルバイトをしては貯金し、海外に出る学生生活を送る。海外へのこだわりが強すぎ、旅終了後に試みた就職活動に失敗。もう一年休学し自分の中身を棚卸しした結果、もう一度就活をしてみることにする。
幸いにも2度目の挑戦は功を奏し、ノートで有名な某メーカーに就職。入社1ヶ月でまったく希望しなかった事業へ配属されふてくされるも、なんとか社会人として歩み出す。周りの人々に恵まれるが、残業、満員電車、大勢順応エトセトラエトセトラのサラリーマン生活40年のビジョンが描けず、久しぶりに再会した大学時代の友人から「そろそろ海外進出?」と言われたことをきっかけに、「そもそも私は海外で暮らしたかったんだ」の気持ちを思い出す。
石橋を叩きまくるタイプが故に次の一手を決めかねる日々が続くも、久しぶりの1人旅で訪れたバリ・ウブドで立ち話をした自称・呪術師のおっさんに、「あんた結婚する前に海外行くよ」と言われ、「よしやっぱり会社辞めよう」と決意する。(占いはいいことだけ信じるタイプ)


仕事以外の時間で本格的に海外進出を企てるようになり、中国出張へ向かう早朝の京成線でたまたまGood Friends Japan(当時JAPANY)を見つける。海外大学院進学の選択肢も残すべく、「語学留学後の進学予算が残せること」「日本人が少なそうな場所」という条件と、「プラハ」という言葉の響きにやられ、チェコ・プラハへ行くことを決める。(この時点でチェコに関する知識0)「事前に英語勉強しないとな」という気持ちとは裏腹に、渡航までの忙しさにかまけ、社会人時代4年間のブランクを取り戻すことなくプラハ入りし、案の定痛い目を見ることになる。
現在
英語=嫌いなものにがっつり向き合うことに心身を消耗しつつも、今ではなんとか英語で日常生活過ごせるレベルに。1年半のチェコ滞在を終え、オランダにてより自由に生きるための道を模索中。白米・漬物の組み合わせと地元の魚が恋しい日々。
https://www.goodfriends.jp/village/language-schools