自己紹介

【自己紹介】金なし純ドメ女子が目指す離島からの海外進学ストーリー第零章

初めまして!

九州の端っこ鹿児島の高校3年生、受験真っただ中の藤葉と申します。

現在日米併願のため絶賛勉強中…なのですが、ヨーロッパ進学も考え始め、Good Friends Japan様のサポート生となるべく、自己紹介をさせて頂きます!

まず初めに、私は生まれも育ちも日本のいわゆる純ドメであり、実家は日本なら国の給付奨学金を使い倒したうえでさらに民間の奨学金を貰って国公立大学にしか行けない経済状況厳しめの家庭です。そんな金なし純ドメ地方女子がどうやってこれまで、そしてこれからをサバイブしてきた・いくのかをこの記事ではご紹介します。

まだ私自身歩き出したばかりの道ですが、皆様に共有することで、元気になってもらえたり、共感して頂けたり、はたまた反面教師にしたりして頂ければ、これほど嬉しいことはありません。

  • 中学2年生まで:フツーになりたかった。
  • 両親は関西の出身で、私が生まれてすぐに鹿児島の離島に引っ越しました。

    それが今の私を育んだ故郷、屋久島です。

    この島は白神山地とともに日本初の世界自然遺産として知られ、毎年国内外から多くの観光客が訪れます。

    この島で育ったことは、良くも悪くも私の今の志に大きな影響を与えています。

    とりあえず小さい頃から毎日のように海・山・川で遊び、好きなことは木登り、冬でも日焼けで真っ黒な子どもでした。


    (右から二番目が私。昔から写真写りの悪さが笑えるレベルです。)

    そしてもう一つ、今の私の根本を成しているのが舞踏の経験です。

    舞踏というのは今から60年ほど前に日本で生まれた前衛舞踊の一つで、父はそのダンサーです。

    父は国内外で公演を行っており、その娘の私も物心ついたときから舞台に立っていました。

    関西方面で毎年ツアー公演を行い、その他にも日本各地で踊り、何度か韓国にも行きました。

    そうやって知らない土地に行き、個性豊かな人たちに出会い、その土地の食を味わい、時には文化の違いを実感するのはとても楽しく、世界はこんなに違っていて、面白いものや美味しいものがたくさんあるのだと実感しました。

    特に印象深いのは、韓国でポシンタン、つまり犬肉鍋のお店に行ったことです。

    韓国では伝統的に犬食文化が存在し、現在も賛否両論ありますが、犬肉を出すお店はいくつも存在します。

    私も最初は驚きましたが、せっかく善意で連れてきて頂いたのだし、食べてみないとわからないと思って口に入れてみました。

    結果からいうと、普通においしかったです。

    獣臭さや変わった味がするわけでもなく、最後まで綺麗に食べきりました。

    (お気に障った方もいるかと思います、すみません。それでも、これは私にとって、自分と違うというだけで他者を否定してはいけない、と実感させられた出来事として語っておきたいものでした。)

    この舞踏を通しての多くの出会いは私の好奇心や、海外に行きたい!という気持ちのもとになっています。

    一方でこの経験は自分は周りのひとと違う、という事実を私に突きつけるものでもありました。

    舞踏は土着性、混沌という言葉が似合うダンスで、決してバレエのように洗練されてはいないし、一見、見ていて何が面白いのか分かりません。(実際当時の私には何がいいのかわかりませんでした)

    踊ることは好きではなかったし、友達に知られるのも嫌で、ツアーで学校を休む時も色々と言い訳をして隠していました。

    このように得たものは大きいが、それ自体は好きではない、という複雑な感情の対象だった舞踏ですが、中学の半ばから学校との両立の関係で自然と離れることになりました。

    しかし、大学受験のために自己分析をする中で、舞踏の経験が私に与えた影響の大きさを改めて思い知り、このまま舞踏を過去として終わらせるわけにはいかないと思ったのです。

    そして父の公演を見に行ったことで、カラダの原始性に立ち返るという舞踏の魅力を、初めて感じることができました。

    今後も続けたいと思えたとともに、再現不可能な舞台芸術の魅力、身体表現の可能性など、これまでなら考えなかった部分にも興味が出てきました。

    (大阪、万博公園でのフォトセッションにて兄弟と。一番手前が私です。) Photo by Eiichi Noguchi

    そんな小学校時代は近くの全校生徒30人の超小規模校だったのですが、地元の中学校の統廃合で、中学校は大きな学校にバス通学することになりました。

    入学直後は知り合いも数人しかおらず毎日緊張ずくめで、特に学年集会でおならをしてしまったときは恥ずかしすぎて次の日は本気で休もうかと思いました。

    しかし部活に入ったことで友人も増え、生徒会や文化祭の実行委員、脚本も務めて、楽しい思い出がたくさんでき、当時のことも今では笑い話です。

    (中学の友人と。ドラマ”今日から俺は!!”が流行っていました。)

    高校受験:転機。

    そんなフツーの中学校時代でしたが、3年生になり、スマホを手に入れてTwitterを始めたことで転機が訪れました。

    「国際協力」を仕事にしている人のアカウントに出会ったのです。

    ちょうど受験を意識し始め、なんとなく今と違うところに行きたい、地元の高校に行きたくないという思いがありました。

    だからといって別にやりたいことがあるわけでもなく、海外で仕事ができてしかも人の役に立つとか最高じゃん?という軽い気持ちで国際協力に惹かれました。

    それをきっかけに国際協力の仕事や国際問題について調べ始め、紛争や虐殺の記事に戦慄して、こんな目に遭う人をなくしたいと本気で思うようになりました。

    そこで国際協力の仕事に就くには開発学という学問を学ぶといいと知り、それを学べる大学を探すと軒並み海外(開発学の本場はイギリス)だったことが、海外進学に興味をもった最初のきっかけです。

    そこから、海外の大学に行くには?英語だ!という安直な発想で、英語の強い高校を探しました。

    離島出身の私にとって下宿・寮の存在も必須条件でした。

    第一志望の高校を下宿代が払えずに諦め、寮があり、入試の成績が良いと学費と寮費が全額免除になる高校を見つけて、免除がとれなければ地元の高校に進学するという条件で受験しました。

    受験期につらかったのは、周囲と勉強のモチベーションがまったく違ったことです。

    同級生のほとんどは名前を書けば受かると言われている地元の高校を受けるので、冬になっても教室で遊んだり騒いだりしていました。

    家でも弟妹には受験など理解してもらえず、目の前で弟と妹が喧嘩しているリビングで集中して勉強するのはとても難しかったです。(自分の部屋などありませんでした。)

    そんな中、親や同じように島外の高校を目指す友人、先生方のサポートを受けながらなんとか勉強を続け、最終的に英語科ではなく課題解決型学習など先進的な教育をしている別の学科を受験することにしました。

    英語は自分でも勉強できるけど、国際協力に必要な課題解決の力を自分で養うのは難しいと思ったからです。

    そして終えた受験の結果は、学費・寮費全額免除付き合格。

    自分の力で進路を切り開いたこのときの経験があるから、今の米大進学者ゼロの環境でも、諦めずに海外大を目指すことができています。

    (中学校の卒業式にて。SNOWの魔法は偉大です。)

    高校生活:志。

    念願叶って高校に入学し、家を出て寮生活が始まりました。

    この時点で海外大について色々と調べ、

    • 国際協力=開発学という訳ではなく、他に専門性を身に着ける必要があること
    • 開発学は学部レベルで学べるところは少ないこと
    • イギリスの大学は専門性が高いこと
    • アメリカのリベラルアーツ教育なら興味のある分野を色々と学べること

    などを知り、哲学、国際関係、歴史、政治など興味が拡散していて、とにかく海外に行きたかった私は、とりあえずアメリカの大学を目指すことにしました。

    高校ではとにかく授業の枠を越えて色々な活動をやってみました。

    これはアメリカの大学では課外活動が重視されていること以上に、知らない人たちと出会い、もっともっと新しい世界を知りたいという好奇心が最大の理由です。

    これまでにやったこととしては

    • 大学生と高校生が交流するサマースクール参加
    • 経済に関するクイズコンテスト
    • アイデアコンテスト参加、アイデアを発展させたイベント開催
    • 模擬国連
    • 文理選択に関する研究、後輩への授業
    • 企業でのインターン体験・商品開発
    • 生徒会
    • 学校の中学生向けのパンフレットを新しく生徒だけで企画・製作
    • 大学の高校生向けプログラム参加

    などが挙げられます。

    これらもほとんどはTwitterやFacebookで見つけて参加しました。

    (サマースクールにて。Geopolitics(地政学)の授業を受け、プレゼンをしました。左から二番目が私です。)

    その中で感じたのは、圧倒的な格差でした。

    課外活動で出会う高校生たちはえてして高い志と能力を持ち合わせ、自分の興味を追求したり、社会への問題意識を持って活動したりしていました。

    高卒という資格を得るために高校に行った地元の友人とは、そもそもの意識が違いました。

    もちろん私が出会った高校生たちは都会の高校生でも意識の高い一部でしょうが、この差を生んだのは環境、つまり居住地であり経済状況です。

    サマースクールのポスターが学校に貼ってあった人と、Twitterで探しまくった私。

    この差を埋めたいと思いました。

    その後、色々な活動をしたり本を読んだりする中で、私がこのようなことを言えるのすら、父の職業や母の自主性を育てる教育、多くの偶然の結果だと気づきました。

    やりたい!と思うことがあればサポートしてくれる仕組みが、この世の中にはまだ存在します。

    奨学金やサマースクール、Good Friends Japanさんのように無料でサポートや情報発信をされている団体も各分野にあります。

    インターネットが普及した今、それらには格段に手が届きやすくなっているはずです。

    しかしそれらはすべて、やりたい!やってみよう!と思えることが前提です。

    自分にはできない、と諦めている人、意欲がもてない人、苦しいけどどうしていいか分からない人もたくさんいるはずです。

    これは大好きな研究室からお借りした言葉ですが、「誰もが自分らしく学べる社会」であるべきです。

    そしてそのために大切なのが、「自分の人生を自分でデザインしていく力と自信」だと私は思います。

    それを育てる教育として、私は今アントレプレナーシップ教育に注目しています。

    これは現在日本でも注目され始めたフィンランド生まれの教育で、文字通り起業家を育てること以上に、起業家のように自分や周りに対して前向きに働きかける姿勢を育むことを目的としています。

    これはまさに、生まれた環境に縛られないために、自分らしく学べるために、私が皆に身に着けてほしい「自分の人生を自分でデザインしていく力と自信」を育む教育です。

    これから:壁は乗り越えるためにあるらしいよ。

    ここまで書いたように、私は大学でアントレプレナーシップ教育を研究する気満々でした。数週間前までは。

    エッセイを書いているうちに、これをする!と明言するのが怖くなったのです。正しさなんて相対的なもので、どこにでも例外はあって、そんなマイノリティの側にいた私は、だからこそ自分の発言が誰かを排除していないか怖いのです。

    もちろん、教育への興味も課題感も、海外大に進学したい気持ちも変わりません。

    そもそも怖がってばかりで行動に移さなければ、問題は問題のまま変わらないことも分かっています。

    それでも、この「怖さ」は失ってはいけない、そのうえで「教育を変える」なんて大事をのたまう前に、異なる意見を持つ人の集合体である世の中とどのように付き合っていくのか、世の正義や矛盾や論争や哲学を、利益を鑑みずに学問できる大学で、学んでみたいと思うのです。

    寮で深夜までコーヒー片手に「多様性の限界とは?」なんてテーマを話し合える友人を見つけに、私は海外を目指します。

    一方で、私にはいくつもの壁があります。

    最大の壁はお金です。

    理想はアメリカ進学ですが、ご存知の通りアメリカの大学の学費はまともに払えば地方なら家が建ちます。

    学費免除の仕組みもありますが、合格率はかなり下がるのでものすごーく優秀な人しか行けません。

    既に国内の奨学金は二個不合格、一つは締め切りに間に合わず(jasso奨学金を目指す皆さん書類がとても面倒くさいので本当に長い目で準備することをお勧めします…)、万一大学に合格しても進学できるかどうかは不明瞭な状況です。

    また、私の高校はアメリカの大学への進学者を出したことがないため、大学に必要な推薦状、学校紹介、成績表などもその説明から始めなければなりませんでした。

    説明のための書類を作成し、先生に一人ひとりお話することでなんとか理解を得ることができましたが、自分でやることの多さは校内随一だと自負しています。

    また日本の国公立を併願するのも、そこの大学が魅力的だからという以上に、先生方への心象upの面も大きいです(実際1年生のときは渋い顔をされた海外進学も併願となると非常に協力的です)

    また、英語のスコアも足りていません。TOEFLは5月に受けた一回目で留学の最低レベルはクリアしましたが、アメリカの大学に行くにはまだ十分ではないので12月に再受験します。

    また、貧乏受験生の味方、Duolingo English Testも受験予定です(なんと受験料がTOEFLの1/5以下でPC受験なので交通費もかかりません、ただヨーロッパでは受け付けていないところも多いので注意が必要です)

    勉強法としては、参考書・単語帳を購入して独学、スピーキングだけはオンライン英会話で鍛えました。

    英語のニュースも情報収集も兼ねて積極的に読む・聞くようにしていますが、このような受験料・教材費も正直負担です。

    そこで新たに併願候補として考えに入れているのがヨーロッパです。ヨーロッパには私のような経済状況でも、奨学金がなくても大学に行ける国がいくつもあり、特にデータサイエンスやコンピューターサイエンスは注目の分野なので英語のプログラムが多くあります。

    さらにその割に英語のrequirementが低く、推薦状もあまり要求されません。

    そのため、今後はヨーロッパの大学を調べつつ

    ・アメリカ出願のためのエッセイ執筆

    ・日本の受験勉強

    ・TOEFLの勉強

    の3つを並行して行っていく予定です!

    正直忙しいし大変ですが、海外大進学の夢を諦めないため、前を向いて受験期を走り抜けたいと思います!

    ここまでお読み頂きありがとうございました!

    金なし純ドメ女子が目指す離島からの海外進学ストーリー第零章、終幕です!

    (次はあるのか…?)

    皆さんのおかげで藤葉ちゃんは今日も頑張れます!

    最後に物理的に私を作った実家の田んぼの写真をどうぞ!

    ABOUT ME
    藤葉
    多様性の複雑さと面倒くささと、それでも多様性を愛する方法を知るため海外大進学を目指す地方の受験生です。 最近はハイエクの正義論に興味があります。