初めまして。
30代(どちらかと言えばアラフォー)のフーミング
と言います。
今公務員をしていますが、
来年2月からのヨーロッパ留学を目指しています。
ちなみに夫も一緒に、
仕事も辞める予定、です!
公務員という安定した職を捨て、
さらに年齢も若くはないので、
周りからは
「将来大丈夫なの?」
「海外好きなら旅行だけにしといたら?」
「もうそろそろ落ち着いたら?」
「定年してから移住したら?」
と言われる中、なぜこんな大胆な決断に至ったのか。
お話できたらと思います。
これまでの私
私がこんな大胆な決断に至るまで。。
それはとても模範生な人生でした。
中学生・高校生では、
とにかく先生に言われるまま、まじめに勉強をし、
成績は上位。
大学は、国立大学に入りました。
学部も好きでもないのに、つぶしのききそうな法学部に入学。
法律は好きではなかったので、
授業は退屈でたまりませんでした。
そしてその後は、就職活動に失敗したため、
当時はやっていたロースクールに入学。
またまた苦痛でしかない法律の勉強を続けることに。
思えばこの時、好きなことやりたいことよりも、
「一般的によいと思われること」
「正解でありそうなこと」
ばかり求めていた気がします。
結果として、司法試験は失敗したものの、
法律の勉強をしていた甲斐あって、
公務員試験で拾ってもらい、
公務員として現在まで働いています。
日本で働くことの苦しさ
仕事では、周りの先輩方から
学生が長かった未熟な私に
いろいろなことを教えてもらいました。
周りに気を使うこと。
お客さんに怒鳴られたときの対応。
いかにミスせずに仕事をすること。
職場の人間関係はとても良かったので、
10年くらいは頑張って働いていました。
先のことは考えずに、
とにかく目の前の仕事をミスせず、効率的に
すること。
それだけをモットーに。
限界を感じた頃。
でも、そんな私ですが、コロナを契機に
職場もがらりと雰囲気が変わってしまいました。
緊急事態宣言中に在宅勤務をした関係上
積み重なってきた大量の仕事量。
それでもミスなく仕事をすることが求められました。
「2ヶ月仕事を止めていたのだから、そのペースでやればいい」
なんてことは当然なく、
「早く仕事の遅れを取り戻せ」
「でもミスはするな」
そんなプレッシャーと
「早くしろ」
「楽している公務員なんだから」
というクレームの嵐でした。
一般的に公務員は仕事が楽で、
コロナで倒産した会社の方々のことを
考えると恵まれている、
それはそうなのかもしれません。
私もそう考えて、
とにかくそんな声に答えようと
必死で仕事をしていました。
でも、
毎日毎日そんな気持ちで仕事へ行っていると、
体調不良が続発してきました。
ひどい頭痛で、
毎日薬を飲まなければいけないことも増えました。
ここで、定年まで仕事をしていくのは無理かもしれないな。。
そんな気持ちになっていきました。
同僚の死
そんな中、
職場の同僚が病気でなくなりました。
とても温かくて、優しい同僚の死。
あまりに突然で、ショックすぎて。
悲しいというよりも、
心が空っぽになってしまったのです。
仕事への気持ちも
本当に何も感じなくなってしまった、
というのが正直なところです。
それでも、
なくなった同僚の人員補充がされることはなく、
その方の仕事分の
さらに大量の仕事が押し寄せてきました。
なくなった方への気持ちの整理もつかないまま、
仕事を片付ける日々。
あまりの仕事量にミスをした同僚に対しては
上からの「反省しろ」の圧力。
仕事量を言い訳にすることは許さないという
雰囲気。
どんどん心がなくなっていきました。
この時に、
心の何かが崩れた音がして、
ああ、私もうここにいるのは無理だ、と
確信しました。
周りになんと言われようと、
安定した仕事であろうと、
こんな気持ちでここにいるのは無理だ。
体も心も、
他と比べてどうかというよりも、
私が限界なんだ。
だから辞めるしかない。
そう決めました。
転職市場の狭さ
仕事をやめると言っても…
もちろんどこかほかのところで働き続けるしかありません。
そこで仕事を探そうとしました。
しかし、私の職歴では、転職は難しそうでした。
年齢も引っ張り、正社員なんてとうてい無理。
一生バイトか非正規職員しか道はありませんでした。
ああ、日本では一度仕事を決めてしまうと、
再生するなんて不可能なんだな。
これからの人生どうしたらいいんだろう。
そう考えて、お先が真っ暗になったのを覚えています。
留学の可能性
夫も実は前職がSEで、ハードワークのため辞めていました。
「もうブラック企業ばかりのSEはしたくない」、と
別の転職先を探していましたが、
30代からの別の分野への転職はとても難しく、
今は非正規で働いています。
二人とも日本で生きていくことに
自信も希望も失っていた時、
そんな中、たまたま知ったのがヨーロッパ留学でした。
安く、私の貯金でも、
海外で年齢の差別なく働けるかもしれない!
本当に安易かもしれないけれど、
これは私達にとって一筋の光でした。
海外で感じた日本との違い
私、実はずっとずっと海外が大好きでした。
仕事中も、コロナ前は、
ストレス解消に、
年に何回も海外や国内に旅行に行っていたんです。
↑バリ島ウブドでヨガ。
海外一人旅では、
フィンランド、スリランカ、イギリスなどに行き、
現地で世界を見るたびに、
日本との違いをたくさん感じていました。
フィンランドでは、午後4時には仕事が終わり、
在宅勤務も多いこと、
子育てに対する国の補助も厚い、と
現地のオーロラツアーに参加して知りました。
イギリスでは、1週間の短期語学留学をしました。
夏休みを利用したため、本当に短期間でしたが、
50代以上の方の参加が多くてびっくり!
年齢なんて気にしていたのは、私だけでした。
バリ島では、サーフィンにトライし、
そこで、現地の人に、
「あなた、いい笑顔だね!」と言われ、
ああ、これが本当の私なんだな。
日本ではなぜこの私が出てこれないんだろう。
と感じたことを覚えています。
もちろん、海外では
サービスも悪いことも多く、
毎日が旅行中であっても
トラブル続きです。
ホテルの部屋のドアが閉まらずに怖くて眠れなかったり、
夜に野犬がいる道をビクビクしながら渡ったり、
バスもタクシーも通っておらず、
どうやって帰ろうか途方に暮れていたときに
日本人旅行者の人に助けてもらったこと。
すごくすごくストレスもたまりますが、
だからこそ、
海外だと自分を良く偽る余裕がなくなるんですよね。
だから、素直に助けを求められる。
そして、
一つクリアできると、
どんどん自分がレベルが上がった気がする。
海外の人は気を使わずに話してくるから、
自分も気を使わずに話ができる。
そんな経験をたくさんしました。
留学ができたら。。。
仕事するのは、旅行のため。
そう言っても過言でない私でした。
でも大部分の平日は仕事。
ほんの少しの土日は旅行。
旅行で思い出した本当の自分大切な気持ちも
仕事で忘れてしまう。
また思い出しても、また忘れる。
その繰り返し。
また旅行で行っても、
3日弾丸のバリ島旅行、
5日間のフィンランドなどだと
深い人間関係を築くのが難しいんです。
バリ島では、一緒にサーフィンスクールで出会った
中国と韓国の方とグーグル翻訳を用いながら、
いろいろな話ができました。
ああー、いろんな世界を知って、
文化を知るって、なんて楽しいんだろう!
そう感動して、
その日の夜はあまりの興奮に
眠れなかったことを覚えています。
外国人の友達がほしいと、
イギリス短期留学をしましたが、
やはり期間が短いことから深い友達はできませんでした。
↑イギリスのコッツウォルズ。かわいくて大好きすぎる街です。
(この留学では最初の2日くらいは、
押し寄せてくる英語の波に頭が疲れ、
頭痛が止まりませんでした^^;
やっとなれた頃にはもう留学は終わってしまったし。)
「外国人の友達がほしいなぁ」
という気持ち。
それならいっそ、
「大学のときに、留学していれば良かったなぁ。」
と思うようになりました。
でもアメリカ・イギリス留学はすごく高いという話を知っていたので、
「ああ、無理だ。
もうこの年だし、来世に行くしかないな」
ずっとそう思っていました。
だけど、ヨーロッパ留学を知って、
本当に行けるかもしれない!
人生に絶望していたからこそ、
素直にそう思えたのかもしれません。
一縷の望みをかけて、30代からの夫婦留学
目指してみることにしました。
今年一年
留学のために、できるだけお金を貯める。
そのために一年続けることとした仕事でしたが、
やっぱり仕事だけでもヘトヘトで、
英語の勉強は大変でした。
できないことの繰り返しでした。
無理して体に鞭打った結果、
心臓の病気も発症してしまったり、
体調を壊したりの連続で、
全くうまく行っていません。
きっと心は「いやだ」と思いながら
体は無理して働いている。
そんな分離から、
仕事を続けていたからこうなっているのかな、
そう思います。
↑母と言った京都旅行。日本も大好きなんですけどね。
でも、今年までだ、留学のためだと思いながら
働いています。
合格したら、、
日本で苦しい環境の中で
働いている人の、
一筋の道を示せる存在になりたいです。
今の仕事が向いていないと、
「もう終わりだ」
「なんて私は体力がないんだろう」
「もっと頑張らなきゃ」
と、どんどん自分を追い詰めてしまいがちです。
本当は、
心身が「無理だ」「限界だ」と言っているのなら、
それが正しいんだと思います。
だけど日本では、なかなかそれを許される環境がない。
甘えだと取られてしまいます。
実際にこの文章を読まれている方でも
甘いと思われる方たくさんいらっしゃるでしょう。
でも甘くても自分は自分、もう仕方ないなって今は思います。
でも、もし私達がヨーロッパに行って、
なにかの可能性を見いだせたら、
きっともっと自由に人生を選べる人が増えてくるんじゃないかと
思うんです。
私の職場も、
「はやく定年になって仕事を辞めたい」と言っている人がほとんどですが、
それってもったいなくないですか?
今を楽しみたくないですか。
私たちは今後の人生、
もちろん失敗することも大いにありえますが、
どっちにしてももう仕事をやめようと思っていたので
もう怖くありません 笑
心を燃やし続けたい
このような話をすると、
「仕事なんて適当にこなせばいい」
「まじめに頑張りすぎるから辛いんだ」と
言われたこともありました。
でもね、私できないんですよね。
手を抜いて仕事をするということが。
仕事は適当に、
プライベートを充実させる。
それも選択肢の一つかもしれないけれど、
いくら工夫してみても、
私にはどうやってもできませんでした。
多分、私って、
仕事も私生活も燃えてないとダメなんですよね(;^ω^)
それに気が付けたのが、
去年見に行った「鬼滅の刃」の映画で
「心を燃やせ」という名言を聞いたとき。
私はやっぱりこうやって生きたい、と
心から思ったんです。
(ちなみに鬼滅の刃は8回映画館に見に行きました^^;)
夢中になって、
好きなことを全力でやって、
人の役に立てるような存在にいつかなりたい。
今は自分のことに懸命で、
周りの人への優しさや守る強さがなくなっているけれど、
いつかはそうなりたい。
正しいのか、間違っているのかなんて
今はわからないけれど、
今やりたいからやってみるという気持ちにしたがって、
久しぶりにトライしてみることにします。
せっかくの挑戦なので、
これからネットで、文章で、
私たちの挑戦を発信していきたいなぁと思っています♪
(やりたいからやる、なんて当然のことが
よく考えたら中学生から失っていたんですよね。
この年になって、ようやく気が付きました^^;)
長々とした文章でしたが、
見ていただいてありがとうございました^^