こんにちは
オランダへの留学を目指している、カイナンです。
今回掲載させていただく自己紹介では、ざっくりとこのようなことを書こうと思っています。
- 自己紹介(私のバックグラウンド)
・小学校
・中学校
・高校
- 留学をしようと思った動機
- オランダに決めた理由
- 自分自身の将来像
作文形式で少し堅苦しいかもしれませんが、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。
1.バックグラウンド
私は日本人の父親とルーマニア人の母親を持つ高校卒業を間近に控える17歳です。母親が外国人、そして父親は大学時代をアメリカで過ごしていたことから、家庭内での会話は英語がメインで、幼いころから日本と海外の両方の文化に触れることが多かったです。このような背景もあり、幼いころから海外に行く機会もそれなりに多くありました。
小学校は公立小学校、中学、高校は受験を経て私立の中高一貫校に通いました。インターナショナルスクールに通った経験はありません。
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小学生
私の小学校低学年、そして中学年の約4年間は私が最も異文化を身をもって体験した時期だったように感じます。この4年間で私は母親の祖国であるルーマニアやベルギー、デンマーク、そしてアジア圏ではタイやフィリピン、ベトナムに旅行したことで、少ずつではありますが国籍や文化の違いを理解していきました。
今でもそうですが、このころから私は自分自身のいる環境を変えるのが好きで、将来は世界中を周れるような仕事をしたいと小学生のころから思うようになりました。ちなみに、幼少時代の将来の夢はパイロットでした。
旅行以外の面では、小学生の私はとにかくサッカーのことしか頭になかったです。学校のサッカークラブに所属していたのですが、週に休みが3,4日ほどあったので休みの日は毎日急いで家に帰ってから学校のグラウンドで日が暮れるまでボールを蹴っていました。
小学六年生の時にはクラブのキャプテンを任されたものの中学受験を控えていたため、自分自身の中でサッカーしたい気持ちと勉強しなくてはいけない気持ちが入り混じり、かなり葛藤した一年でした。今思うと、小学生ながらサッカークラブのキャプテンと受験勉強を同時期にこなしたことは自分自身を人として飛躍的に成長させた経験だったように感じます。
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中学生
無事に中学受験を終え、人工芝のグラウンド、レベルの高いサッカー部、そして帰国子女のプログラムを備えた、私にとってはこの上ない環境での新たな学校生活の始まりだと思った矢先、私は部活で大ケガを負ってしまいました。
手術が必要になり、結局復帰を果たせたのはケガをしてからちょうど2年後でした。最悪の中学校生活のスタートを切った私は当然のごとくひどく落ち込んだため、心機一転、母親のいとこが住むイギリスへ旅行をすることになりました。
ロンドンから電車で1時間ほどのところにある街に2週間ほど滞在したのですが、そこで最も印象付けられたのは、人々の「時間に対する寛容さ」でした。私の滞在していた郊外の町でもそうでしたが、何より衝撃的だったのが首都ロンドンでも人々は非常に余裕を持ち、それこそ文字通り「人生を楽しんでいる」ように僕の目には映りました。
具体例を挙げるならば、日本では電車が2、3分遅延した際でも駅構内や車内で謝罪のアナウンスが鳴りやまないのに対し、イギリスでは電車が遅延しても駅員の方、乗客の方がだれひとりとして焦る様子が無かったのが印象的でした。
常に物事の進むスピードが異常なほどに早い東京で生活してきた私にとっては、良い意味で違和感を覚えました。また、街中を普段通り歩いていた際には私達が観光客であることを察したからか、老若男女問わず現地の人々が旅行中の多くの場面で話しかけてきてくれたことを鮮明に覚えています。
このような東京では日常的に起きりえないような状況は、中学生の私にとってはあまりに衝撃的で、このあたりから海外に住むことへの憧れを持ち始めました。
高校生
中学1年生の時にした全治2年のケガから無事に復帰を果たした私は、ほかの誰よりもサッカーをすることに飢えていて、今までの鬱憤を晴らすべく、人一倍部活に励んでいたように感じます。その中で大学進学のためには成績が重要になることは知っていたため、部活と勉強の両方に均等にエネルギーを割く必要がありました。家が学校から遠かったこともあり、エネルギーの使いどころにはかなり苦戦しましたが、部活があったおかげで私が文武両道を実現するための最適解に近づけたように感じます。
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私の一個人としての意見ですが、部活は最後まで続けるべきだと信じています。何か一つの物事を一貫して続け、そしてやり遂げるというプロセスを学生時代に経験することは、今後の人生において数ある山場を乗り越えるためには欠かせないと強く信じています。
高校2年時には海外進学したいという意思を確固たるものにしており、3年生になる前にヨーロッパの大学をリサーチし始めました。
なぜ留学を希望したか
前述したように、私の母親がルーマニア人、そして父親は海外大学出身であることから、私は幼いころから常に日本以外の文化に触れる機会が多くあったように感じます。しかしながらそれは、幼稚園から高校まで日本の学校にいた自分にとっては逆に葛藤を生んでしまったこともあります。
特に小学生、中学生のころは自分が持つ2つのアイデンティティに整理がつけられず、家庭内で英語で会話することだったり、自分自身が周りの日本人の子と違ってハーフであることを非常に嫌がったりして、「二人の自分」に板挟みにされたような状態になっていたのを覚えています。
そんな私を前進させたのが、学校の英語の授業でした。実際に海外には住んだことがないものの、家庭内で英語を話していたり、一定の英語のレベルを保持していたりしたため、私は帰国子女枠としての受験を許可され、現在在校している学校に入学しました。私が通った中高一貫校の英語の授業は大まかに、一般受験の生徒たちからなる一般的な英語の授業と、それとは別に外国人教師による帰国生で構成されるより高水準な英語のクラスがありました。
私は後者に所属していたのですが、特に印象深かったのは、TOKという哲学をメインとした授業でした。この授業では哲学的なテーマに沿ってクラスメートと議論をしたり、プレゼンテーションをしたりするのですが、ここでたびたび議論を重ねたのが、国籍や文化、宗教、思想の違いについてでした。
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このような内容について、私と同じような境遇を経験したことのあるクラスメートとともに議論や会話を重ね、ディスカッションを通して場を共有したことは、これまで2つのアイデンティティに板挟みにされていた私により自分自身に対する理解を与えてくれました。かねてから海外大学に進学したいという意思はありましたが、この経験を通して、より自分の日本人ではない方のアイデンティティを深めたいと思ったことが、海外大学に進学したいと思った一番の動機です。
なぜオランダの大学を希望したか
正直なところ、私は高校3年生になるまでは「海外大学に行きたい」という漠然な野望を持っていただけで、大学で学びたい事や将来の夢など全くありませんでした。そしておそらく、このような状況に陥った海外進学を目指している高校生は他にも山ほどいると思います。
高校3年生になり、さすがに危機感をおぼえた私は、まずは国からリサーチを始めました。とは言っても、最初はかなり漠然にリサーチを始めました。元々将来の夢や、大学で学びたいことなど全くなかったため、自分が少しでも興味があれば理解を深め、興味がないと思えば無理してまで深堀するようなことはしませんでした。
ヨーロッパ諸国のリサーチをしばらくした結果、興味を持ったのがチェコとオランダでした。オランダやチェコはその街並みや風景に非常に惹かれ、同時に歴史と知名度のある大学が多く存在していたことから、良い印象を受けました。18年近く、東京というすべての物事が速く進み、密集した空間で過ごしてきた私にとって少し落ち着いた環境は理想的でした。
自分のターゲットを絞るべく、チェコとオランダの大学の中で学びたい分野を調査した際、オランダのトゥウェンテ大学のビジネスとテクノロジーを融合させたプログラムに非常に興味を持ちました。私は文系の人間なのですが、以前からYouTubeなどでテクノロジーのコンテンツを見ることが時々あり、少し興味を持っていたためリサーチを深めました。
ここで初めて一つの大学に興味を持った私は、もともと人と話すのが好きだということもあり、実際にトゥウェンテ大学に通う方にコンタクトを取ろうと試みました。そして様々なSNSツールを通してリサーチを重ねた結果、トゥウェンテ大学に通う数少ない日本人の方と連絡を取ることに成功しました。国によって変わりますが、日本から海外の大学に行くのは少し複雑なケースも存在しているため、実際にそのプロセスを経て海外大学に入学された当事者とお話ができたのは私の海外大学選びにおける一つの転機でした。
まだ何も成し遂げていないただの高校3年生が偉そうなことは言えませんが、やはり自ら行動すること・人と積極的に話し関わることはどんな局面でも生きてくる非常に大切なライフスキルであるとこの経験を通して強く実感しました。まだ進学する大学は決定していませんが、私はこの方法で、将来の夢すら決まっていない状態からある程度の段階まで絞ることができたと感じています。
将来像
ざっくりと留学したい国、そして学びたい学問は定まったものの、高校3年生の1学期中の私はいざ「なぜ海外大学に進学したいのか」と聞かれた際に、明確な意思を伝えることができていませんでした。
そこで私を数段階成長させてくれたのは、秋に申し込んだある奨学金の作文でした。そこには、「30年後、自分はどのように社会貢献をするのか」や「留学中のそれぞれ1~4年目の計画」など、留学前、留学中、そして留学後の自分自身の様子を綿密に書き記すといった難易度の高い議題が用意されていました。当然ながら私は大苦戦しました。おそらくこれからの人生でもあれほど自分自身の人生を見つめ直し、そして将来像を構築するような機会は中々無いでしょう。
かなり短い期間でしたが、私が現代の日本社会の問題点としてまず真っ先に目を付けたのが、学校教育でした。私自身ハーフとして幼稚園のころから日本の学校教育システムに身を置いてきましたが、常に異文化交流やディスカッションの機会が非常に少ないことに懸念を抱いていました。作文を書くにあたって、日本の学校教育と革新的な欧州の学校教育の比較、そして教育のIT化についてリサーチを重ねました。そこで初めて私は自分自身に目標ができたのだと自覚しました。それは「日本の教育システムに改革を与えられるようなビジネスモデルを作る」ことでした。
そしてさらにリサーチを続けると、教育のIT化、グループディスカッション、自己表現の機会など、日本の学校教育ではほとんど採用されていないような教育をしている教育現場がオランダに多くあることに気が付きました。
かなり精神的に苦悩した作文制作でしたが、このように自分自身を見つめ直し、そして留学したい意志を明確にするような機会がなければ、私は高校3年生の1学期時の漠然とした気持ちのまま留学に行き、目標もなく途方に暮れていた可能性すらあったかもしれません。
私は、日本の教育システムに懸念を抱き、それを将来的に変えるべく、海外留学を目指しています。過去に2つのアイデンティティの間で葛藤し、自分自身を見失うこともありましたが、正直なところ、いまだに最適解は見つかっていないように感じます。やはり日本の教育システムにずっと身を置いてきたため、日本人としてのアイデンティティの方が強調されているのではないのかと自分自身思ってしまうことも多々あります。そんな僕と似たような状況にある学生とより多くの場面で日常レベルで交流し、日本では絶対に経験できないようなことを、世界一グローバルな国ともいわれているオランダで経験したいです。
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