自己紹介

小さな野球少年が海外に行くまでの経緯

はじめまして!akiともうします。

自分は2022年からハンガリーの大学に学部留学するという計画を立てて、

日々ちょっとずつその計画を進めています。

ここでは自分のこれまでの人生のまとめと、ハンガリー留学を目指すようになったきっかけについて書こうと思います。

<自己紹介>

年齢  18歳 男

出身地  神奈川県

部活  小・中と8年くらい野球をやり、高校では山岳部、写真部に入る

趣味  野球、山登り、写真撮影は趣味としても大好き。

世界に存在するスポーツはほとんど大好き、特に球技はお気に入りで、やることがなければ一日中プレイしても飽きない。

キックボクシングとブラジリアン柔術にも過去一年でハマりまくった。      

  読書もスポーツと同じくらい大好き。

行ったことのある国  アメリカ(高校の交換留学)

<自分の人生のまとめ>

幼少期

神奈川県の田舎で生まれた僕は、小柄な両親に変わらずとっても小柄で可愛い赤ちゃんでした。 

その体格のせいもあって、かなり消極的で内向的な子供でした。

4つ上の姉と、4つ下の妹がいる自分は、家の中で彼らと遊ぶにつれて女の子と仲良くする方法は学んだものの、男の子と仲良くするのはいまいち下手で、ほかの男の子を見るとビビってしまうような子でした。

5歳くらいの頃に神奈川県のド田舎から神奈川県の田舎に引っ越し、新しい幼稚園に入りました。

そしてそれ以来、その町に10年以上住み続けることになります。

幼稚園に入っても性格は変わらず、ほかの男の子(特に自分よりデカい)にビビり散らかしていました。

小学生時代

小学生に上がっても小柄でナヨナヨしていて、消極的で、自信がないというような子で友達も少なく、平日は帰ってきたら姉や妹と遊ぶかテレビを見て、休日は妹とお庭の掃除をするというような感じでした。

しかし、小学2年生の後半にある出来事が起こり、それが自分の人生を大きく変えていきます。

それが野球との出会いです。

小学2年生で出会ったクラスのお友達に誘われ、自分は野球という超楽しいスポーツを始めることになりました。

自分はそれ以降、嘘みたいに野球にドはまりし、寝ても起きても野球のことを考える生活が始まりました。

朝は早く起きて、登校前に朝練をし、10分休みと昼休みは野球で培った肩を活かして、ドッジボールに精を出しました。

放課後は家に帰るなり、グローブとボールをもって近くに公園へ行き、日が暮れるまで友達と野球をしていました。

野球を始めたことで性格も体つきも友達の数も将来の夢も大きく変わり、小学校を卒業するころには完全な野球少年になっていました。

(無邪気な坊主野球少年だった小学生時代)

中学校時代

近所の公立中学校に入った時は何も迷わず、野球部を選びました。

しかし、中学校に入るやいなや知りたくなかった事実にうすうす気づきます。

それは、小柄な選手は活躍しにくい、試合にすらも出にくいということです。

小学生時代は、チームメンバーの数が少ないこともあり毎回レギュラーとして試合に出ていましたが、メンバーの多い中学校ではうまくない選手は試合に出させてもらえません。

この超単純な事実に気が付いた僕は、努力でなんとか現実を変えようとしますが上手くは行きませんでした。

結局中学3年間で数試合に出場したものの、出場できた時も9番ライトとしての出場で、ほぼ全打席でセーフティバントか送りバントをしていました。

3年生での最後の試合でも、同級生達が負けて泣きじゃくっているのを、ベンチから涙一つこぼさずボーっと見ていたのを思い出します。

中学校三年間を通して、それまでは消えることがないと思っていた野球への情熱が一気に消滅しました。

しかし、これは自分にとって相当辛いことでした、なぜなら野球は自分のアイデンティティの完全な一部だったからです。

野球から離れたことで、野球を通じてつながっていた友達とは疎遠になり、将来の夢も失いました。

そこで自分は「なんでもいいから打ち込めるものを見つけたい」と考え、野球の喪失を補う何かを探しました。

そして見つけたのが”勉強”でした。

(完全に野球が嫌いになった中学時代)

高校時代

中学三年の夏から、必死に勉強に打ち込んだ自分は晴れて県内でも有数の公立進学校に合格することとなります。

しかし、その高校に合格した時はあまりうれしいという感情はありませんでした。

なぜなら自分は当時はかなり”病んで”いたからです(笑)

スポーツに打ち込む時と違って、勉強に打ち込もうとする時は病む可能性がとても高くなります。 

スポーツに打ち込む人は、共に運動する仲間がいるし、身体の休息のために睡眠もとるし、食事にも気を配ります。人間的な生活を維持できるわけです。

しかし、勉強に打ち込むことになると食うことも寝ることも遊ぶことも外に出ることも基本的にどうでもよくなり、一日中偏差値、数式、英単語のことを考えて生きていくことになります。つまり、人間としてやるべきことが二の次になってしまうのです。

自分の病み具合はかなり深刻で、受験期は哲学の本で出会ったニーチェにドはまりし、ニヒリズムを人生の真理として崇めていました。

高校受験が終わった時にこんな感じであったため、高校一年生になっても自分の殻にこもってひたすら「思考」を楽しんでいました。

しかし、この”勉強”にも打ち込み続けることは結局できませんでした。

なぜなら、”変態みたいに勉強に打ち込んでも全然成績が上がんないから”です。

高校一年生の夏くらいから、勉強に打ち込むことの虚しさと自分の適性のなさに気が付いた自分は、さらにアイデンティティ探しの旅に出ることになりました。

野球と勉強を失った自分は「もう打ち込めるものなんて、ハマることができるものなんて見つかんないだろうな」と感じていました。

しかし、高校一年生の夏休み自分にとって大きな出会いがありました。

それは南アルプスの名峰、槍ヶ岳です。

自分は、高校に入学したとき部活には入っておくかということで、一番練習の少ない部活、山岳部を選びました。

山登りの経験は全然ないし、特に山自体に興味もありませんでしたが、夏休みに特にやることもなかったので山岳部の槍ヶ岳登山に参加しました。

しかし南アルプス、槍ヶ岳は想像以上の美しさでした。

(自分の心を射止めた南アルプスの景色)

それまで、自然の景色に感動したことはあれど、圧巻されてほかのすべてのことを忘れ、自分の存在すら忘れ、ただ立ち尽くしてしまうくらいの感情を抱いたのはこれが初めてでした。

槍ヶ岳を下山し、小田急線の列車内で15キロのリュックを背負いながら、「ああ、自分はこういう景色をもっと見たいな!色んな所に行ってみたいな!」と思いました。

それから、きれいな景色の写真を撮影することにもハマり、自然と風景と山への情熱はどんどん高まっていきました。

高1の終わりころ、あるアイデアが頭に浮かびました。

それは「海外に行けばもっと綺麗で感動的な写真とれるのではないか」ということです。

そこから、行きたい国とその国に行く方法を調べまくりました。

魅力的な国は沢山ありますが、そこへ行くのは簡単ではありません。

バックパッカー、ワーキングホリデー、海外旅行、様々な方法がありますが、人生のどのタイミングでどうやってそれを実現するかのイメージは全く浮かんできません。

そんな感じで悩んでいた矢先、ある人に出会います。

その人は自分の父の知人で、大学時代は米国に留学し、今は大学教授として働いています。

その人の妻も高校時代に米国に交換留学へ行った経験がありました。

自分は彼らと出会って話し、留学を勧められました。

そこで自分は「留学に行けば海外の美しい景色も見れるし、つまらん日本の高校に行かなくて済むし、なんかかっこいいし、英語もまあまあ好きだし、未来の選択肢も増えそうだし」という風に思い、高校留学で米国に行くことを決意しました。

それから数か月間、様々な留学派遣団体の試験を受けて、何回か落ちたものの、結局高2の8月に米国公立高校留学試験に合格しました。

実際の出発は、その一年後の8月だったので高2の夏からは英語に力を入れ、留学への準備を進めました。

英語に力を入れたことで、英語の成績はぐんぐん伸び、気をよくした僕は他の教科の成績も伸ばしていきました。

留学が終了してから、日本の大学に入る計画を作っていた僕は、受験勉強も始め、すべては上手くいっているようでした。

留学を目前に控えた2020年2月、新型コロナウイルスが日本、そして世界を襲いました。

最初は長期の休校を喜んでいた自分も、コロナが留学、自分の計画に与える影響に気づき始めました。

2020年4月~6月当時、自分は留学は中止になるものだろうと思い、1年後の受験のために計画を作り変えました。

しかし留学団体の必死の努力の結果、僕の留学は予定通り行われることになりました。

そしてついに僕はアメリカ、ユタ州で留学生活を始めました。

その留学生活を一言で表すと 「最高」 でした。

(最高だった留学生活)

これまでの人生で最も刺激的で、楽しくて、学びがあった一年だといえます。

英語を学べたことはもちろん、大好きな野球も再開でき、美しい景色にも出会い、様々な人生を歩んできた様々な人に出会い、彼らと沢山の話をし、色んな経験を積みました。

2021年6月、日本に帰国した僕は、帰国後3日目にしてこんなことを思いました。

「もう一回海外行きて~」

もう一度海外で挑戦したい

日本で生活することは、快適で楽で、安心安全です。

しかし海外での生活は、もっと冒険的で”生きている”感じがするのです。

海外の大学に正規留学したい理由はそれだけというわけではありません。

まず海外の大学に正規留学することで、student VISA を取得できます。

Student VISA があれば、留学した先の国に長期間滞在することができるので自分のやりたいことである、「世界の様々な美しい景色を見る」ということが非常に簡単になります。

さらに、海外の大学で4年間、英語で、専門知識を学ぶことで海外で職を得るチャンスがググっと増えます。

人生100年時代、生涯現役時代と呼ばれる、現代において「英語で専門知識を学んで、仕事をした」といった経験はおおきなアドバンテージになると思います。

というのも、日本は少子高齢化と人口減が進み、縮小していくマーケットだからです。

縮小していくマーケットで少ない枠を競って頑張るよりかは、拡大していく世界というマーケットに人材としての自分を売り出した方がより経済的に安定した人生になるようと考えています。

そういうわけで、僕は海外で正規留学する方法を血眼になって探しました。

しかし、プロセスが単純な交換留学とは違い、正規留学には様々な障壁があります。

海外の大学に留学する上での一番の障壁それは、学費です。

奨学金をとれば難しいこともないかもしれませんが、高校1年生と2年生の途中まで壊滅的な成績をマークしていた自分にとってその選択肢を選ぶのは簡単なことではありませんでした。

さらに、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどの英語圏の大学は学費をバカ高く設定しております。よって、自分はそういった国々を選択肢から除外し、学費がもっと安い他の国に焦点を合わせました。

高校留学に行く前は、英語圏以外の大学なんていっても英語も大して上手くならないから行っても意味ががないという風に思っていましたが、留学生活を通して世界共通語としての英語の凄さ、ヨーロッパ出身の人たちの英語の流暢さに気づき現実的な選択肢として「アリ」になっていました。

その結果見つけたのがハンガリーです。

ハンガリーの魅力的な点は何個かあります。

まずハンガリーの大学の学費は軒並み低く、素晴らしい奨学金システムもあります。

さらに生活費も、ヨーロッパの国にしては比較的低く、東京で過ごすよりかは安く生活できそうです。

ハンガリーの都市部、特に若者の間では英語が普通に通じます。

自分がアメリカで出会った友達には、実際に英語しかしゃべらずハンガリーに住んでいた子がいます。

さらに、ハンガリーという国がヨーロッパの中心に位置しているため、ヨーロッパ各国へのアクセスが抜群に良いです。

というわけで、自分はハンガリーの大学への正規留学を目指し日々奮闘中です。

読んでいただきありがとうございました。