こんにちは。
1998年生まれ愛知県出身
趣味 サッカー観戦⚽️
地元のサッカーチームである名古屋グランパスを応援しにスタジアムへ行ったりしています。
またYouTubeで最近NBA🏀(アメリカバスケ)を観るようになり、友達と運動がてらバスケをするようになりました。
好きな音楽 HIP HOPを主に聴いています。
生い立ち
初めての海外
小学2年生に高校卒業まで約10年間続けるサッカーを始め、5年生の頃には1週間の韓国遠征を経験したりと、そこからサッカー漬けの日々を送っていました。韓国では学校専門の警察官を初めて見たり、観光スポットであるにもかかわらず、緊張感を感じる北朝鮮との南北境界線に行ったりなど文化の違いを感じ、小学生ながらとても良い経験をさせてもらいました。
中学生
一番の出来事は、僕の人生にとても影響を与えた先生や友人に出会いました。その先生は、僕たちの前で「教師」として指導してくれる先生方とは違い、フレンドリーな性格で客観的に物事を見る重要性を説明してくださったり、考えの伝え方や自分たちのした行動がどのように人に伝わるかなど教えていただきました。
簡単に言うとフランクでイケメンでイケてる先生ですね!
今思えば、その先生からたくさんの事を学びまた、この先生の教科が英語ということもあり、英語の勉強が楽しいと感じ近所にある小さな英語塾に行ったりしていました。
中学2年生に出会った友人とは、同じ塾に通い、テストで競い合ったりと学校行事を楽しみこの先生の下で濃い時間を過ごした事もあり、今でも色々な事を相談しあったりお互いを高めあう良い関係を築けています。
この友達が後に書いた留学のきっかけになるので最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
高校生(初めての挫折)
高校生に入ると部活動の朝練や、アルバイトでサッカーのコーチをしたりと家にいる時間が少なくなり自主的に勉強をするといった習慣がなくなりました。
友達が理系選択ばかりだという理由だけで理系の物理を選択。これでもかというくらいつまずき、授業が理解できずついていけていない状況になる。
そして学校を休みがちになる。
理系選択なのに文系の学部を目指すし独学で勉強する。
自分の学力に見合ってない大学ばかり受験。
一つも受からないまま浪人しました😭
浪人生
予備校に入れてもらいましたが高校3年間ほとんど自主的に勉強してこなかった僕には月曜日から土曜日9時から18時か22時までの勉強には耐えらえるわけなく(監獄と呼ばれててました、、、)
また新しく始めた日本史の授業について行く事はできませんでした。
授業が終わるとすぐ家に帰ったり、サッカーを観に行ったりと親にはとても申し訳ない行動ばかりをしていました。
一年目が終わり行きたい大学に行けないと思った僕は浪人2年目を迎えることになります。2年目では大学を休学し再度入学しようとしていた友達と連絡し勉強会を行い国公立大学を合格しました。ですが周りの大学生と遊んでいた時に聞いた大学での勉強に価値が見出せず進学をしないと言う選択肢を取り、2年というギャップを取り戻す為に、就職をする事にしました。また、2年遅れてのスタートなどを考えた僕は、入学後をネガティブなイメージしか持たず、自分の納得した大学に受かるという事が受験勉強のゴールに変わっていました。
社会人
友達の紹介もあり、地元の印刷会社に就職しましたが約半年間で退職しました。
理由はいくつかありますが、同じ仕事内容を淡々とこなす毎日に価値が見出せず向上心を持てなくなった事が主な理由です。
人によっては、お給料をもらえればそれでいいという人もいますが、僕には働く理由がそこには見出せなっかたです。
しかしながら、ここでの社会経験は自分の糧になり強みになると思っています。
また相談を聞いてくれた上司や気が変わったら戻ってきていいよと言ってくれた部長にはとても感謝しています。
それからと言うものの漠然とアルバイトを始め、うっすらと将来、自分のしたい仕事に就けるように大学で勉強し知識を身につける事が大切ではないかと思うようになりました。
自由な時間や、その頃貯めたお金もあり海外に行く事に決め、
先程話した塾が同じだった仲の良い友達がいるアメリカのサンフランシスコに約1ヶ月行く事にしました。
海外大学を目指すきっかけ
約1ヶ月のアメリカ生活
特に宿泊先も決めず韓国経由で約10時間飛行機🛩サンフランシスコ空港に到着。

友達がしてくれたサプライズでの迎えと案内によって彼のシェアハウスに着きました。
すぐに彼の友達と3人でご飯を食べに行きましたが、連れていってくれたお店がベトナム料理とアメリカとは無関係でした、、、笑
それでもそこでのチップ文化やお店までの道のりなど十分に楽しめました。また音楽の話や中学校時代の友達のエピソードを話してるうちに仲良くなり、数日間泊まらしてもらえることになりました。
その時の友達のルームメイトの彼とは旅行の後半、2人で買い物に行ったりお酒を飲んだりととても仲良くなりました。また彼とは帰国後に僕の家に泊まりに来たり、名古屋を案内したりと今でも連絡を取り合う中です。

幸い友達のルームメイトが全員日本人と言う事もありご飯を食べに行った以外の人たちともゲームやパーティーをしたりとすぐに仲良くなりました。たくさん話して行く中で、彼らは僕と同じ年齢ながら異国の地で映画のサウンドや心理学を学んだりと僕が漠然と考えていた将来の事に途轍もない量の勉強をし努力しているのだと感じました。
彼らは一緒に遊んでくれるだけではなく、たくさんの外国人の友達を紹介してくれました。友達の香港人の彼女は車を運転してくれ有名なハンバーガー屋さんやgoogleの本社に連れてってくれたり、韓国人を呼んでみんなでサッカーしたりと、とてもフレンドリーに接してくれました。後半にはバスでずっと行きたかったロサンゼルスに友達と行きました。
そこで見たサンタモニカビーチやグリフィス展望台の景色はスケールの大きさから今でも忘れる事ができません。

最終日には駅までお見送りに来てくれるほど仲良くなり、みんなの協力もありとても楽しい旅行になりました。驚く事にその後、友達の香港人の彼女が名古屋に来る事になりみんな集まり僕がアメリカでしてもらったように、僕もたくさんのおもてなしをしました。

決意
この経験を通して、僕はこの時に惚れ込んだカリフォルニアで将来一年でもいいので住むという目標を立てました。
その理由は天気とコミュニケーションの文化です。日本のじめじめとした湿度はなく乾燥した気候は気分を高めてくれました。実際、気候が人に与える影響は大きく論文では周辺温度を社交性や情緒的安定性、自己成長や可塑性に関する個人の性格に影響する極めて重要な要因と発表しているくらい大事らしいです。また、度々危険だと感じる事もありましたが、日常にあるコミュニケーション文化がとても魅力的でした。例えば、アメリカ人はバスを待っている間や買い物中お店の人では無く知らない人が「そのズボンいいね」などからフランクに会話が始まります。
また町中だけではなく、Airbnbを使いたくさんの外国人の方と出会い、カフェに連れて行ってくれたり一緒にサッカーゲームをしたりと初めて外国人と遊ぶのがとても楽しかったです。
次にカリフォルニアに住む事を可能にするスキルを身に付ける事です。
僕が少しでも英語でコミュニケーションが取れていたらもっと楽しかったではと思い帰国後すぐ英語を勉強し始める事にしました。
また、1ヶ月で感じた彼らのような留学への憧れもありますが、英語力、専門的な学問を学ぶ為に海外大学正規留学が必ず力になると思い決意しました。
この事をアメリカで友達になった彼に話すと、物価や学費、奨学金と言った費用の面や、ヨーロッパの非英語圏での英語の普及などを教えてくれて、ポーランドやハンガリーをお薦めされました。また、教えてくれた彼は今ハンガリーの大学に編入しまた会えたら嬉しいです。
帰国後
まず英語力が優先と考えた僕はオンライン英会話を始めましたが、やはり日本では英語に触れる機会が少ないと考えた僕はセブ島へ1ヶ月の語学留学に行こうと決めました。

セブ島でコロナウィルス流行
3月後半から4月後半の約1ヶ月予定していた留学はまさかの到着日に1時間も授業を受けず強制帰国、、、
理由はコロナウィルスによる空港や語学学校の閉鎖です。
セブ島中の日本人や空港が閉鎖することもあり日本経由でセブ島を抜け出そうと言う外国人などで結局、空港の閉鎖まで航空券が取れませんでした。ですが現地の日本人会の助けによる臨時便に乗る事ができ帰国する事ができました。この時に払った学費が返ってこない事や、臨時便チケットが高すぎた事など最悪でした、、、。
覚悟
今は入学に必要なIELTSの点数が取れた為、今年の秋に入学できるよう次の段階を頑張っています。
あの鮮明に覚えている景色に近づけるように、またたくさんしてきた選択の間違えすらもプラスになるように
まずは海外大学入学という目標を達成します✌️