自己紹介

【自己紹介】乗った電車を飛び降りてレールから敷きなおす社会人

はじめまして。現在海外進学に向けて頑張っているふーりといいます。

この場を借りて自己紹介させていただきます。

1,簡単なプロフィール。
2,これまでとこれから。

という流れです。

かったい文章ばかり書いてきたのでゆるーく書けたらと思います。

1:簡単なプロフィール





おなまえ:ふーり

年齢:24

出身:大分県

生立ち…3人兄弟(姉妹)の真ん中として誕生し、生まれながらにしてテレビのチャンネル権を失う。とにかくみんなと一緒がいいという性格で、4歳近くまで姉や妹と同じようにスカートをはいて保育園に行ってました(笑)。

幼少期からピアノ(もう弾けません)、バイオリン(もう弾けません)、水泳、剣道等様々やった後、私立中に合格するも小学校の友達と野球をするという理由で地元の中学へ、その後高校に入学しサッカー部に入部。

そして大学に進学し卒業して社会人を1年半ほどやって現在に至ります。

特技・好きなこと

特技はざっくりスポーツ全般できるところです。

部活は上記の通りで、大学でもバレーボールをしてました。違うことばかりやってたので、ほぼ人並み以上にできます。残念ながらずっとやってきた人たちには全くかないません笑

クラスマッチでいい感じに全部活躍できるおいしいポジションでした、バスケとテニスの才能は誰かにあげました。

ずっとやっているのは自転車で、最近またちゃんと乗るようになって、現在200キロのロングライドに向けてトレーニングをしているところです。

好きなこと:運動・スポーツ観戦・旅行に加え、読書やゲームも

要するになんかいろいろやっている人です。

これまでとこれから

簡単な自己紹介をさせていただきましたが、ここからは、

これまでの人生のターニングポイントに焦点を当てながら、

高校時代から現在までの自分、そしてなぜ留学するのかを書いていこうと思います

前述のとおり、中学では野球部でしたが、当時は体が小さく、力がないことから高校野球に進むつもりはなく、弓道部に入ろうかと考えていました。

入学間もないころに同じ中学の人と一緒に部活見学に行き、サッカー部のグラウンドに行くと、中学生のころ通っていた塾で同じだった人が数人いて、気づいたら入部していました。

これがすべての始まりです。

全体で60人近くいる大所帯で初心者は自分含めて2人。到底ついていけるわけもなく、とにかく必死に目の前のことをこなしていた記憶があります。

もう一人の初心者の子とはよく話すようになり、彼が地元のJリーグのチームである大分トリニータが好きなこともあって、ほぼ毎試合観戦するようになりました。

その他にもワールドカップ・国際親善試合の試合を見る等気づかないうちにサッカーに染まっていった自分がいました。

先輩が去り、自分たちの世代になってからはGKにコンバートし、そこからはありがたいことにレギュラーとしてプレーさせてもらいました。

当然GKなんてやったことがないですが、元野球部と言うのが活きたのか、ボールを怖がらないという大きなアドバンテージがあったのは幸いでした。

それでもずぶの素人であるのは変わらず、周りからも結構いろいろ言われました(笑)。

自分の努力不足が招いたことですが、当時の自分には堪えたようで、やめようかなと考えたこともありました。それでもやってこれたのは、これまでやってなかったことに飛び込んで、途中でやめるのが嫌だったこと、そして何よりいつの間にかサッカーが大好きになったことでした。

最後の大会で相手と交錯したときに肺を蹴られて5分ほど意識が飛んだのと肋骨2本と持っていかれたのはいい思い出です(笑)。

こんな感じで勉強なんてそっちのけでうまくなるために練習をし、試合を見に行き、考え、理想に胸を膨らませ現実にうなだれ、それでも目の前のボールを追いかけた3年間、今後一生付き合っていくであろうキーワード「サッカー」に出会い、喜怒哀楽を全力で表現した高校時代でした。

少しレールをそれて、私が好きなチームを紹介します。

皆さんご存知世界最高クラブManchester Unitedです。

イギリスの工業都市マンチェスターを本拠地とする通称赤い悪魔です。

世界最高峰とされるプレミアリーグで優勝まで何年待てばいいんだか多くの成功を収め、

現在はクリスティアーノ・ロナウドも所属している世界中に7億人のファンがいるといわれている正真正銘のメガクラブです。

当時はウェイン・ルーニーという選手がチームを引っ張り、そのすごさに圧倒されいつの間にかファンになっていました。

時差がかなりある為高校時代はほぼ見ることができませんでしたが、大学生になって以降見逃した試合はほぼゼロというレベルで沼ってます。

皆さんも見ていただけると、そしてファンになってくれると嬉しいです(笑)。

話したいことがたくさんありますが別のブログが乱立できるレベルですので、この辺で…

現地観戦で撮ったやつ

話を戻しましょう。

時は過ぎて大学2年の夏。

何とか国公立の法学部に合格した後。オリンピックにサッカーにサークルに飲み会にと所謂大学生を送っていました。

こんな感じで遊び惚けていた大学生活でしたが、そんな自分一つの財産が手に入りました。

2年の夏休みの約2か月。さすがに昼夜逆転を続けるのはよくないから…と、とある議員のインターンに参加していました。きっかけは単純に面白そうだから。そんな些細な気持ちで臨んだもののバイトをする暇もないほど忙しかったです。

同じ会派の方の選挙の手伝いや地域の活動、災害ボランティア等たった2か月で一生の糧になるほどの大きな経験を積むことができました。

このインターンに一緒に参加した内の1人は、エディンバラ大学に正規留学しているとんでもない秀才で、「同い年なのに何なんだこの差は」と驚いた記憶があります。

そんな彼らとともに歩んだ2か月ですが、そこでは就活でいう自己分析なるものを行いました。自分自身で考えそれを発表し、議員さんにボロボロに詰められるというなかなかハードなものでした。私は、将来リーダーになるんだ!と高らかに宣言したつかの間、その論理・考えの浅はかさを散々に言われた記憶があります。

自分しか見ていない。そしてその姿も浅い。とひどいもので、こんなのは自分の考えと違うから…と適当に流していましたが、その後の食事会で、まず自分を貫き通す。これはとてもいいことだし、自分自身がいい状態じゃなければ、相手に何かを与えられるようにはならない。だからこそ、貫き通してほしい。そしてその上で他の人たちに何ができるか、それを考え、実現できれば、口先だけの人間じゃなくなる。という言葉に何か一つ点と点がつながった気がしました。

ここで得たキーワードは「自分が幸せになる」でした。

時は過ぎ4年の晩秋、就職先も決まり適当に過ごしている毎日でしたが、刻一刻と近づく終わりの時、何かしたい。これまで経験したことがなくて、この時期にしかできないこと。考え抜いた結果、私が行ったのは、約半月のヨーロッパ一人旅でした。

目的は、Manchester Unitedの試合を現地で観戦すること、ついでに行きたいところに行くこと、でした。

高校時代に貯めたなけなしの英語力に加え一人旅という不安でどうするか葛藤する日々が続きましたが、これまで得たキーワードを探れば答えはすぐ出ました。

それらに少しの勇気をもらった私は、返金不可の飛行機を予約。後戻りできなくしてから計画をたて、実行しました。夢にまで見た現地観戦とヨーロッパ各国の名所めぐり、半月で5か国回るびっくりするほどハードな旅でしたが、その先々で人に触れ、文化に触れ、携帯を奪われ(追いかけて取り返しました。)、とかけがえのない時間を過ごしました。

当然楽しいだけではなく、大きな壁も待っていました。言語の壁です。

日本語が通じるのはイギリスであった大学の友人とエディンバラに戻っていた彼、そして観光地にいる観光客目当ての押し売りの人たちくらいです。

自分の知っているサッカーの話題なら何とか単語をかいつまんで何とか理解できるレベル。まともに会話したのは、「初めて来たんだ、これからほかの国のスタジアムも見に行くよ、サインください。」これくらいです。もっと話せるようになっておけばよかった。という後悔と同時に、次行くときは絶対もっと話しまくってやるという決意を心に刻んだ旅行でした。この旅行で得たキーワードは当然「海外」です。

学生といわれる時代に3つの大きなキーワードを得て社会人としての歩みを進めた私ですが、そこにその3つ当然ながらありませんでした。社会人として働き、給料をいただくという生活を1年半ほどしていきました。当然得られたものは大きなもので、非常に有意義な時間だったのは間違いありません。

しかしながら、こういった「当たり前」を生きる中で自分が本当にやりたいことは何か、今の場所で満足なのか、を問うようになりました。ぼんやり英語を始めてみたり、貯めたお金で生活水準を上げてみたりと「当たり前」を生きるうえで得られるいわば制限的な自由の中で葛藤する日々が続きました。そんな日常でふと物思いにふけることはよくあることですが、今年の2月にそれが新たな一歩でした。これまでなんとなくやっていた英語を、お金を払って勉強することにしました。「次行くときは絶対もっと話しまくってやる」こんな生活を送っていては一生無理だろうなと思いつつ、はじめていきました。

新しい一歩を踏み出したこと。それは同時に自分を見つめなおすようになり、次第に現状に満足できなくなりました。それならば環境を変えようと、転職活動をしてみましたが、どうもうまくいきません。それもそのはず、そこにはないキーワードを追い求めている以上、志望動機なんてものはないからです。

もっと言うと志望しているのは次の仕事を見つける。そんなことじゃなかったからです。踏み出してからかれこれ半年が過ぎ、仕事、転職活動をする最中、「新卒採用と同じようにまずは自己分析だ。」と、改めて本当にしたいことは何なのか?という問いを自分に投げると、答えはあっさり出てきました。

要するにこういうことです。

これまでに得たキーワード「サッカー」「自分が幸せになる」「海外」このキーワードは今の生活で満たされるか?

当然NOです。

ならばどうするか、答えは簡単、YESにするだけです。

具体的にどうするか。

まずは11月末で仕事をやめます。一から勉強しなおして、留学します。

それはなぜか。「サッカー」「自分が幸せになる」「海外」このキーワードを満たすためです。即ち、「イギリスに住んでサッカー三昧の日々を送ること」です。

これは単純に3つをほぼそのままつなげただけの実にシンプルなものです。これを達成するために、イギリスに住めるだけのスキルや術を学びに行きます。

周りにもかなり驚かれました。よく考えたのか?次はどうするの?等々。

それもそのはず今まで一緒にレールの上を走ってたのに、別の方向に行くならともかく、レールを取っ払おうとしてるから当然でしょう。こんな社会は嫌だ、しかれたレールの上なんか走りたくない。というわけではありません。

単に、自分の望む姿は、今のレールの上にはなかった。それだけです。

だから自分でレールを敷く方向に向かうのです。

これまでもいつかは…と想像していた夢物語はいざ具体化すると、単純かつ一歩踏み出す勇気とタイミングがあればいつでもチャレンジできるものでした。

もし、そのタイミングをつかめるならば、定年してからかな?とうっすら考えていたものが当たり前のように目の前に転がり込んできます。もし本当にそうならば、寿命が数十年延びたようなものです(笑)。そして、もしそのタイミングが今ならば、いつやるか?

もう答えは出ています。

ちなみに何を学ぶのか?といわれると、明確にこの分野を!というのがまだ出てきません。もともと教えるのが好きだったので、教育分野でもよし、インターンの際にプレゼンをしたのはAI関連の話だったので、そちらに行くもよし、ビジネスを学ぶもよし、可能性はいくらでもあります。レールから外れて初めて見える景色です。

ここから見える景色を隅々まで見渡しながら、自分でレールを敷いていくつもりです。

最後に…

ここまでいろいろ書いてきましたが、書いている中で、自分自身が何を考え、何のために「今」動き出そうとしているのかがクリアになりました。

余談ですが、皆さんは「あの時」こうしておけばよかったな…って思うことないですか?

私もいくつもありますが、一つは中学の野球部のころ、ピッチャーとして準備をしろとの指示の中、後輩のキャッチャーと遊んでいて、いざ試合に出たら大炎上で試合ぶち壊し。それ以来ピッチャーをクビになりました。その当時は二度とこんなことしてたまるかと、努力をした記憶があります。(当然クビになったので再びマウンドに上がることはなかったです)

「あの時」が形は違えどまさに今この瞬間だとしたら…と考えると迷いはなくなりました。

いばらの道であったとしても進むという覚悟もしてきました。

他人に何と言われようと、自分自身の夢物語の完成まで、突っ走ります。