自己紹介

浪人生による自転車日本縦断の旅

皆さん、こんにちは!

 木村俊太郎と申します。僕は2021年3月に高校を卒業した19歳です。そして現在は自転車での日本縦断中から帰ってきたばかりです!?

よろしくお願いします!

 高卒で日本縦断って、学生なの?社会人なの?みたいなことをよく言われるので、高校卒業後の道のりを大まかに説明しますと、

高校卒業→大学受験落ち→浪人生→アムステルダム自由大学のファンデーションに内定→自転車旅→道中で突然、大学より来年の受け入れは無いとの通達を受ける→現在

みたいな感じです。

 アムステルダム自由大学への出願は全て自分で行いましたが、CS専攻が政府の指定を受けたようで、プログラムの見直しの最中という旨のツイートをGood Friends Japan代表の桑原さんがされているのを発見し、このサポートについて知りました。今後のオランダ留学の動きについて自力で対処するより、専門的な知識をお持ちの方に頼った方が確かなこと、それに留学後の交流の幅も広げたかったこともあり、この度サポートしていただくことにいたしました。

 この自己紹介では僕の高校時代から現在までに僕が経験してきたことを少しご説明しようと思います。

のびのび過ごした高校生活

 僕の通っていた高校は基本的に放任主義でのびのびとした高校生活を送れました。僕の母も同じ高校に通っていたのですが、当時は近くでお祭りがあると午前授業になったり、打ち上げでみんなで飲み会をしたり!?、そんな風潮だったようです。時代の変化で当時の様にはいきませんが、それでも私服で髪染め、ピアス等もOKでした。課題に関しても、長期休みや週末課題なども特には必修のものはありませんでした。また、期末テストなどもあるようで無いようなもの。赤点なんて言葉も使いませんでした。

卒業式後のクラス撮影。ちょっと雰囲気が違うかもしれないですね。

 ここまで聞くと、どんな不良高校だと思われたかもしれませんが、そんなことはありません。れっきとした進学校です。ただ、僕自信なんとなく進学校という言葉には勉強中心の学校というニュアンスがあるように感じ好きではありませんし、学校でもほとんど使われていませんでした。

 こんな感じで、普通は存在する、学校からの[束縛]のようなものが無かったおかげで、僕は高校を中退せずに卒業できたのかもしれません笑

実は僕は授業中は寝てるか、内職をしてるか(8割は睡眠学習でしたが…)で、先生の話も雑談以外はほとんど聞かず。そもそも、大の遅刻魔でかつ、積極的にセルフ休暇を取得するという有り様でした。他校であれば浮いてしまうかもしれませんが、周りもこんな感じだったので、なんの問題もありませんでした。笑

 高校では小学校から続けてきた野球に勤しむ日々でした。かつて甲子園にも出場し、当時のキャプテンだったOBの方が僕の入学と同時に就任され、周囲は甲子園に本気で出たくて入学してきた人ばかり。僕は元々登山部に入部する予定だったのですが、あまり力を入れている様子ではなかったので断念し、巡り巡って野球部に入りました。

 一番初めの練習が終わったのは夜10時。家に帰ってきたのは11時過ぎ。初日でこれは無理だと察しました。また、周囲との熱量との差にも苦しみ、入部早々に退部を決意しました。

 しかし、中々抜けるタイミングを見いだせず、結局3年間続けることになります。

 野球部での出来事や僕の心境の変化などについては、長くなってしまうので割愛しますが、上記のようにチームは本気で甲子園を取りに行っていたので、練習は週6日でオフの日も自主練習。平日家に帰ってくるのは10時近くで、休日も早朝に家を出て、帰ってくる頃には外は真っ暗。高校時代は文字通り、野球漬けの日々でした。

 部活においては、仲間の存在、技術向上やチームについて考えるなど、充実して楽しいものでしたが、学校生活の方は何をしていたっけ? みたいな感じで、ほとんど記憶に残っていません。

 なんとなく毎日同じ電車に乗って、決まられた時間割をこなし、同じような時間に家に帰る、という生活が嫌だったんですよね。部活は楽しかったものの、学校生活が単調に感じてしまってました。朝は早く起きても学校に行きたくなくて、気付いたら電車に送れてしまう。でも、そんな時に近所や街中をフラフラしたり、学校近くの公園の池のほとりのベンチにのほほんと座るのも中々良いですよ。

 一方で、部活には遅刻も欠席もせずに2年こなし、気付けば高校生活も1年間を切っていました。

 コロナにより大会が延期され、部活が終わったのは8月上旬でした。ここからは大学受験に向けての勉強が始まります。授業も寝てばっかりで、たいして勉強した記憶はありませんが、そこそこは成績も良く、志望校も兼ねてから決めていました。ただ、志望理由は

1.京都に住みたい

2.熊野寮に住みたい 

のみ。周囲には、これを研究したい。医者になって人の命を救いたい。国際弁護士になりたい。なんていう立派な志しを持った人もいましたが、僕は上記の二点だけ。古都京都に実際に住んで、観光とは違うものを味わいたいと思ったのに加え、京都って関西はもちろん、どこの地域に行くにしてもアクセスがいいんですよね。孤島の北海道民からすれば、羨ましい限りです。また、熊野寮というのは歴史ある自治寮のことで、僕の担任の先生が住んでいた場所でした。今年も機動隊が突入したことで話題になり、ちょっと<ヤバい>寮なのですが、面白くてユニークな人が多く、他では出会えない人と仲良くなれるのでは、と期待していました。

 夏、秋の模試では全く勉強が間に合わず、判定は良くありませんでしたが、次第に過去問も解ける様になっていきました。共通テストは社会だけ点数を取れば良かったので、それなりにこなし、残り1ヶ月。模試の過去問を解いてみると、合格点を越えることが多くなり、手応え的には受かるかなという感じでした。

 ところが…見事に落ちてしまいました。敗因は自分のミス。これも実力です。僕は志望校以外、私立も後期も受けなかったので、卒業した後は晴れて浪人生となりました。

そうだ世界に出てみよう

 上述した通り、授業を聞くとどうしても眠くなってしまうのと、苦手な所を集中的に鍛えたかったので宅浪を選びました。1ヶ月自宅で勉強しましたが、宅浪であれば自宅でなくてもいいじゃん!ということに気付き、姉の住む福岡へ。それから日中は勉強、夕方からは福岡を探検したり、一週間長崎に行って、朝から夕方までホテルや喫茶店で勉強、その後はまた町探検といった様に過ごしていました。

 福岡の姉の家にはいたものの、姉は会社の研修のため1ヶ月の寮生活。そのため、福岡では実質一人暮らしでした。人生で初めて、時間の使い方から何を食べるかまで、全てを自分の裁量だけで決められる毎日。休憩時間には本も読むようになり、自分が何をしたいのか、について深く考えるようになりました。もちろん、それ以前も考えてはいましたが、いったん何もかもの制約が外れると見えてくるものが増えてきました。

 まずは将来の仕事について。高校生の時にはなんとなく物理系の研究者になるのもありかな、なんて思ってました。しかし、浪人して初めて研究者の本を読んでみると、その方は二十数年間、毎日同じ海岸を歩いて、発色するクラゲが打ち上げられているのを探しているとのこと。即刻で自分には無理って思いました。確かに考えてみれば、研究ってすぐに成果の出ることではないし、地味に研究していく中の賜物ですよね。そこまで熱烈に成し遂げたいことがあるわけでもないし、じっと何か一つのことをするのが苦手な自分の性格的にも、そして今後自分を熱烈に研究に打ち込ませるようなものに出会う確率も低いであろうということで、この道に進むべきではないと判断しました。

 働くということは、何らかの形で社会に貢献すること、人の役に立つことであるかと思います。その自分の影響が及ぶ範囲が、教室の一室内や地域、あるいはもっと広い範囲に及ぶのかもしれません。ただ、自分は何かの役に立たなきゃいけない、みたいな観念に囚われていた気がしてきたんですよね。自分って何がしたいの?

 考えていくなかで、若い内、体力もある内は自分のやりたいことをやろう!と思えてきました。誰かの役に立とうとか、自分の子供を持つならこれ位の収入はないといけないとか、なんて考えていましたが、なんだかんだ若いうちの時間が非常に貴重な気がしてきました。そして、自分がずっとやりたかったこと。それが世界中の色々な場所に行くこと、でした。

 元々海外に住みたい、働きたいという意志は持っていました。小学校の時に書いた夢も、国際機関で働くというものでした。その後は夢を書かなきゃいけない時は、海外の色んな所に行く、とずっと書いていました。というのも、僕のイメージとしては海外に住む、例えば、ロンドンやニューヨークの支店に勤める、または海外に度々旅行に行くというものよりも、旅そのものが生活みたいな感じなんですよね。アマゾンや砂漠、サバンナなどの大自然も味わいたいし、もちろん世界中の都市にも足を運びたい。つまり、世界中どこにいてもお金を得られる手段が必要になってくる。そこで、僕はこの希望を叶えるのに適しているCSを専攻にすることにしました。

 しかし、単純にそれだけであれば、日本の大学の情報学科にでも進んだとしてもいいかと思います。ここで海外進学をを選んだのは、大学時代の環境を重視したからです。

 大学の4年間という期間って、色んな意味で貴重な時間だと思うんですよね。そもそも自分の自由にできる時間が一番あること。それに学問においても、生活面、プライベートにおいても、良くも悪くも様々な影響を受けやすいはずです。もちろんそれは日本にいたとしても同じ話ですが、元々海外に興味のあった僕としては、海外に住んで、衣食住の何から何まで自分の知っている世界とは全く異なる経験をするのが1番と考えました。

カナダからオランダへ

 初め、留学をしようと決めたとき、留学先に考えていたのは英語圏でした。しかし、アメリカ、イギリス、オーストラリアは学費が高い。高すぎる。速攻でこれらの国は候補から除外しました。また、調べていくなかで、卒業後のビザの取得のしやすさなども考慮するようになり、かろうじて金額的に行けなくもなさそうなカナダに絞ることに。そうとは言っても、JASSOからの返済不必要な奨学金を取ることが必須。Twitterにて実際にカナダに留学されている方にDMを送り、多くの方からZoomやチャットでお話を伺うことができました。だんだんと留学のイメージが沸いてきて、奨学金の方も高校時代の実績はないけど、北海道からもらった人もいなさそうだし、文部科学省は全国から採りたいだろうから行けるっしょ!みたいな乗りになりました。

 今思えばかなり曖昧なままでしたが、とりあえずバイトも始め、なんとなくIELTSの勉強も始めました。ただ、時が経つにつれて、そもそも奨学金も、大学も(カレッジという選択肢もありましたが)合格する見込みのなさ、そして奨学金に合格したとしても、お金のやりくりがやはり厳しいことなどから、やっぱり留学は諦めるべきなのかもと思い始め、再びネットで留学について調べ始めました。そこで、英語圏という条件を外すと、英語で学べ、ビザも取りやすく、現地で英語だけでも困らず、さらに色んな国にもアクセスしやすいという、最高条件を備えたオランダという道を発見。さらに詳しく調べると、なんと2021年9月入学も受け付けているとのこと。ただしこれに気付いたのが7月12日で期限が15日。元々次年度からの入学のつもりでしたが、ダメ元でやってみようと出願手続きを始めました。高校の先生に無理を言って、急いで必要な書類を揃えてもらい、IELTSも10日後の試験を申し込み、ドタバタではありましたが、出願を終えました。

1年間の夏休み

 結果は…やはり間に合わず。ただ、なんと来年度の合格通知をもらうことができたのです。来年の9月まで一年間という時間が、突然舞い降りて来ました。あまりにも急なことだったので、この貰った時間をどう使うかについて、パッとは思いつかず、まずは今後必ず必要となる免許を取りに岩手県二戸市へ。合宿終了後はその足で二戸〜仙台〜三陸海岸を自転車で走りました。10泊ほどの旅でしたが、走っている中で、この1年間の貴重さに気づき始めます。今後の人生でこんなに時間と体力があるときってあるのかなって。そんなことを考えていると、次は日本全国も周ってみたいなーなんて考え始めます。元々は大学に行ってからやろうとしていましたが、今後やりたかったことは先にやってしまおう、ということで、ちょうどコロナによる旅行規制も解禁され、自転車で日本の行ってみたかった所へ行くことに。行ってみたかった場所に行くことが目的なので、基本自転車ですが、バスも電車もフェリーもあり。当然歩きもありです。野宿自炊スタイルで計画もだいたいだけ立てて、自由気ままな旅です。

蔵王にて。寒すぎて写真だけ撮ってすぐに山を降りました。
熊野古道をひたすら歩いた

 10月28日に家を出て、師走に入った頃です。親から、オランダから電話が来た、とのラインが。メールを確認して欲しいとのことなので、久しぶりにメールを開くと、

 We are writing to update that the progression BSc Computer Science will no longer be offered at VU Amsterdam ISC with immediate effect.

との一文が。

要は合格取り消しということですね。詳しい説明や、支払い済みのデポジットについての記載もなく、非常に簡素なメールでした。Holland ISCのホームページにも特別記載はなく、事情が全く分かりません。そして、色々と調べていく内にGood Friends Japan代表の桑原さんが、これに関するツイートをされていて、なんとなくの状況を理解します。

宮城県牡鹿半島の展望台より

石巻市の工場郡。橋の下より撮影。野宿していれば、こんな景色にも出会えます。

 再び、進路未確定のニートになってしまいました笑。それも旅の道中で。海外進学への意欲は変わりませんでしたが、オランダのCS専攻のファンデーションで残っているところはあまりパッとしない印象。今後の動向も全く読めません。日本の大学に1年通い、そこから出願する方法もありましたが、共通テストの出願締め切りもとっくに終わっていました。結局今の段階で打てる手はありませんでした。そこで、自力で解決するより、プロの方のお力も借りようと思い、この度サポートをお願いすることにし、現在自己紹介をテントの中から書いております。

 以上がざっくりとした自己紹介でした!

これから、よろしくお願いいたします!