自己紹介

【自己紹介】2022年ヨーロッパ留学を目指します!!

こんにちは!あみです。

私は海外留学をしたい!と小さい頃から思っていたわけではありません。
高校を受験するときも、国内のいい大学に入って大企業に入れたらいいなと思い、
それを達成できるように、高校を選びました。

そんな私が、いろいろな気持ちの変化もあり今現在海外進学をめざしています!
そのため、good friends japanさんのサポートを受けたく、自己紹介を書かせていただきます!
海外留学に興味のある方に少しでも参考になれば嬉しいです!!

①プロフィール

名前 あみ

年齢 18歳 高校3年生

語学力 英検準二級 IELTS5.0
まだまだなので、もっと頑張ります!!

好きなこと
・食べること
結構大食いなので、質より量派です。 食べ放題大好き!!

・寝ること
昼寝大好きです! 学校では絶対に寝ないようにしています。 硬い机で寝るより、ふかふかのベットで寝るんだ!! と気合いを入れてがんばっています笑

・バレーボール
やるのも見るのも好きです!
オリンピック最高でした。

・漫画、アニメ
1番好きなのはハイキュー!!
私のなかではこれを上回るのは永遠に出てこないと思います!
私の青春!!!!!!!

・YouTube
推しは東海オンエアです!!
本当に面白い!!
誕生日プレゼントで、グッズのTシャツを買ってもらいました。
ありがたき幸せ…!
YouTubeは教科書と言っていいぐらい、勉強系、料理系など色々な ジャンルがあるので見てて飽きません!!

・スリルを味わえるもの
ジェットコースター大好きです!
ディズニーやUSJに行ってもパレードより 乗り物を優先します。
日本一絶叫系があると言われる富士急はもはや怖いとは思わなくなるレベルに達しました!

そして215メートルのバンジージャンプもやりました!
飛ぶ前は怖かったのですが、自分が友達を誘ったのもあり、なぜか自分が行かねばという気持ちが湧いてきて、勇気を出して飛んだら、とても楽しかったです!
機会があればもう一回やりたい!
いつかスカイダイビングもやってみたいです!

②幼少期

自分では全然覚えていないのですが、とにかく泣く子供だったそうです。
スーパーに行ったら知らぬ間にアイスクリーム屋さんの前で寝っ転がって泣いていたとか…
この頃から、食べたくてお腹が減っていたのかもしれません。

私は割と他の子より早めに保育園に入りました。
みんなの前で好きな食べ物を聞かれた時に、
ある男の子が野菜の名前を言い、褒められたのを見て

トマト!!

といってしまいました。
私トマト苦手なのに…
その後のご飯の時間にたくさんトマトがもらえました…

他のことは記憶が曖昧なのですが、
この時のことは結構はっきり覚えています笑

泥団子作ったり、ドッチボールしたりする活発な少女でした。
この頃は海外など微塵も考えてませんでした!

③小学校

小学校での1番の出来事はバレーボールのスポーツ少年団に入ったことでした。

その前に、保育園の頃から結構しつこく母にピアノをやりたいと言って、1年生からピアノを始めました。
そして、2年生になる前に、母から姉がバレーボールのチームに入るから休日、私1人で家に留守番にならないよう一緒にバレーボールを始めろと言われ入団。

初めの頃に、6年生の強いサーブが顔面に当たり泣いていたら、監督から泣くなら体育館から出ていけと言われた思い出があります…

この頃は同学年の子がいなくて、姉にくっついていました。
でも同学年の子がだんだん入ってきて、バレーに行くのが楽しくなりました。

そして、小学五年生の時、ついに出会います!

ハイキュー!!という漫画に!!!

ふとテレビをつけたらアニメがやっていて、見事にどハマり。
漫画も揃え、もう何回読んだかわかりません。
さらにバレーボールの面白さや魅力を感じました。

嬉しいことに、クラスの子も結構見てて、毎週日曜にアニメがやっていたので、月曜日は感想交流会でした。 誰がかっこいい、誰が好きかなど話していました!

ハイキュー!!のアニメ1期が終わった後は、七つの大罪のアニメが始まり見事に、またどハマり。
月曜日の感想交流会も続きました。 小学校はこの頃が1番楽しかったです!!青春!!!

6年生になると、割と地区大会では優勝できるレベルのチームになりました!
ほんとにほんとに楽しくて楽しくて、学校で行われる表彰の時はとても誇らしかったです!

こんなにも楽しく続けてこれたのは、まだバレーをやるだけではなく、バーベキューをしたり、餅つきをしたり、さらに卒部旅行は6年生でなくても全員行たりしたからだと思います。
USJやディズニーに毎年行っていました!

家に帰ったら、友達と遊んだり、バレーを練習したりで、勉強はあまりやっていませんでした。
宿題はいつやっていたの??という感じですが、答えは朝です!!

朝勉型です!!!

夜は疲れていたので、ギリギリまで引き延ばして、朝急いでやる人間でした。
この頃からジェットコースターだけではなく こういったスリルを味わうのが好きだったのかも知れません…

何度、朝分団登校のメンバーに迷惑をかけたか分かりません!
毎日集合場所まで走っていました…

海外については、私の生まれたところは杉原千畝さんにゆかりのある所だったので、ホロコーストについては、結構勉強しました。

加えて担任の先生がとても熱心な方で、小学校の頃から、中学校の勉強で役にたつと、世界の国名、首都を答えられるまで座れない、漢詩の春暁、春望、論語や枕草子の冒頭部分などの暗唱テストを合格するまでやるという、スパルタ教育でした。

私は優等生タイプでいかに先生に気に入られるか考えてました笑
なので、こういう課題は積極的に、学級委員もやるような人間でした笑

そのおかげで他の学校の子より中学校で有利だったと思います!
勉強は嫌いではありませんでしたが、めちゃくちゃやるというわけでもありませんでした。
英語に関しては、授業以外では使いもしていないし、 詳しくやっていたわけでもありませんでした。

④中学校

私は、バレーが好きだったので、バレー部に所属しました。
一緒にスポーツ少年団でプレーしていた子は全員バレー部に入ったし、小学校のクラスメイトはそのまま繰り上がって学校に入ったので、友達の面での心配は全くありませんでした。
さらに二つの小学校からの新しい友達も増えて毎日楽しい日々を過ごしました。

しかし、中学校生活は多忙でした。

まず朝はバレーの朝練があり、その朝練の前に学校が開くまでランニングをする。
一年生は先輩より早く学校に行くため、朝はとても早かったです…

朝練の後は授業を受けて、放課後部活を長い時で三時間以上やっていたと思います。
一年生の時は期間限定の駅伝部に入っていました。
部活をやった後に、長距離をやるのです。
自分でも何で入ってしまったのだろうと思いました…

そしてその後は、塾に行きます。
中学校から友達の紹介ではじめました。
正直ヘトヘトでした。
でもテストの順位が出るので、必死に勉強しました。

22時まで勉強して家に帰り、寝て、起きて、朝勉して、朝練行って〜を繰り返した日々を送りました。
そして初めての期末テスト、特に順位は気にしていなかったのですが、割といい順位が出ました。
そして私は調子に乗って、1位をとってやろうと必死に勉強しました。
部活の休みは毎週月曜日とあって月1日土日どちらかのみ。
土日どちらとも1日部活の時は流石にキツかったです。

でも負けず嫌いなので、レギュラーは取られたくない、テストで1番は取りたい、どっちも頑張るしかない!! という感じでした。
勉強は塾と学校のものしかやっていませんでしたが、ワークを3周は必ずやるようにしていたら、

遂に遂に1位!!!!

私やればできるじゃん!
と大きな自信になりました。

中学校2年生、ある知らせが私のもとに届きます。
それは、10日間リトアニア、ポーランドに行けるという知らせでした。
杉原千畝さんのおかげで、リトアニアのカウナスと友好関係があったため、このような機会をいただきました。

私は行きたい!行くしかない!!と思いました。
私は英語が1番得意で、いつかは英語を話して、海外で働いて暮らしてみたいなと、漠然と思っていたし、ホロコーストについて現地で学べるこの機会を逃してたまるか! と思い応募し、見事に合格。

リトアニア、ポーランド行きの切符を手にしました。

飛行機も初めて、海外も初めて、親とこんなにも離れるのも初めてでした。
リトアニアでのホームステイ、ポーランドのアウシュヴィッツ見学などなど、自分の経験値が大幅にアップした旅でした。

その時、案内をしてくださった旅行会社の方が、英語で流暢に現地の方と話しているのをみて、

かっこいい!!!

と思い、着々と物事を進めるグローバルなキャリアウーマンに憧れました!

実際外国に行ってみて、日本人であることを伝えただけで、暖かく接してくださる方がとても多くて、このような関係を築いてくださった先人に感謝でしかなかったです。

楽しくて、充実した旅でしたが、もっと英語が流暢に話せていたらホームステイや見学先でより学びを得ることができたのではないかなと思いました。

そんなこんなで3年生になり志望校を決めるため、塾長と三者面談をしました。
その時に県一の進学校を目指さないかといわれました。
志望校であって、受験校ではなくてもいい、とにかく上目指していこうと言われ、県一の進学校を志望校に。

冬休みは12時間くらい塾にいました…

必死でやればやるほど、自分が合格するかどうか試したい、県1番の高校に行きたいと思うようになり、その高校は志望校であり、受験校にもなりました。

⑤高校

無事合格し、入学。
入学式の次の日からテストがあり、そこで、初めての挫折を味わいました。

井の中の蛙だったんだなぁと。

私より努力している頭のいい人がたくさんいました。
まだ最初だしと思っていたのですが高校の勉強は中学とは比べものにならないくらい難しくて、次のテストもダメ、クラスでもバカなキャラで点数が悪いのを笑って誤魔化すようになりました。

これではダメだ、中途半端に3年間が終わってしまうと思い、思い切って部活をやめました。
その後は猛勉強し、クラス5位になりました。
今でも、テスト結果の個票は冷蔵庫にはってあります笑

高校はなんといっても自由という感じがします。
わたしの学校は校則も厳しくないので、のびのびと過ごせているし、なにより、友達が好きです!

本当に初めの方は成績も悪いし、同じ中学の同級生、先輩もいなくて、素の自分を見せれない辛いときがあったけれど、今はこの学校に進学してよかったと思っています!
あのとき、受験校を変えていたら、きっと何で受験しなかったんだろうと後悔していたと思います。

⑥なぜ留学に行こうと思ったのか

冒頭にも書いた通り、小さい頃から留学を考えていたわけではありませんでした。

中学生のときに海外を体験して、海外へ行きたいという願望はありました。

留学について考えはじめたのはコロナによる3ヶ月間の休校期間のときです。
この時、将来について考える時間はたくさんありました。
自分がやりたいことは何なのか、何のために勉強するのかたくさんたくさん考えました。

この時の考えた今後の選択肢は

1、外国語大学に行く
2、美容師になる
3、管理栄養士になる

この3つでした。

実は美容師は小学校の時からの夢でした。
進学校に進んだため、大学進学!という頭に切り替わってしまっていて、あまり考えていなかったのですが、海外で技術を学べる機会のある専門学校を見つけて、海外にいける、手に職をつけられる、ということで惹かれる気持ちがありました。

少し話がずれるのですが、髪型で人生変わると私は思います笑
私は天然パーマがコンプレックスでした。
でも縮毛矯正してから、髪の毛のセットは楽になり、コンプレックスを気にしなくていいから性格が前向きで積極的になった気がします笑
これも理由の一つです!

管理栄養士はプロのバレーのチームで食事管理をして プレーヤーの力になれたらいいなと思ったからです。
好きなことを仕事にしたい!! ということを考えた時、食べること、バレーが好きな私に合っていると思いました。

この選択肢を学校の先生に正直に話して言われたひとこと

「海外の学校で直接学ぶという選択肢はないの?」

衝撃的でした。私の中で何かビビッときました。
それだ!!!!!と思いました。

私はやっぱり海外へ行きたいという強い思いがありました。
なので、管理栄養士は主に日本国内での 仕事のため選択肢の中から外れ、美容師はなるまでに時間がかかること、専門学校の主な拠点は日本だったのでこれも選択肢の中からはずれました。
外国語大学では留学に行けても1年ぐらいだし、交換留学では、行ける学校の選択肢が少ないので、これもはずれました。

それから留学について調べまくりました。
アメリカやオーストラリア、カナダなど日本人の主な留学先のエージェントに話を聞くと、費用が高い!高い!!
そして、日本人が多いため、日本人と集まってしまう、日本語で話してしまう、という体験談も見ました。

そこで思い出しました。

ポーランドとリトアニアを!!

ポーランド留学やリトアニア留学について調べたらgood friends japanさんの記事を見つけ、格安で高レベルの教育を受けられる学校がヨーロッパにたくさんあると知りました。

今のところまだ行きたい大学は決まっていませんが、 国際関係学やスポーツビジネスに興味があります。

オリンピックをみて、バレーボールをやりたい欲が高まっているので、バレーボールもやりたいなと思っています!

⑦最後に

長々とした文になってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます!!
私が留学するにあたって常に意識しておきたいのは、英語を話すために留学しに行くのではないということです。


英語はあくまで自分の目標達成のための道具であること、英語を使ってその先のことを学びに行くのだという気持ちでいきたいです!
そのために英語の勉強がんばります!!