はじめまして。みなさんこんにちは。私は埼玉生まれ埼玉育ちの現在高校三年生です!つい最近18歳になりました。
えー、埼玉と聞いて何かぴんとくるものはありますか??。。。。 そうなんです、なにもありません(笑) 神奈川出身の母は埼玉のことを‘‘ださいたま‘‘って昔はよんでいたそうです。
そうはいっても出身地愛がないわけではないので、ちょっぴり宣伝させて頂きます。
東京に近いので都会をイメージされがちですが、自然もあります。北欧好きには必見、2018年秋に埼玉県飯能市にmetsa(メッツァ)という北欧ライフスタイルを体験できる施設がオープンします。そして2019年春頃には同パーク内にMOOMIN VALLEY parkがオープン予定です。ムーミン好きには待ちきれませんね(→私)ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。。。
はい。宣伝はここまでにします。
まずは
趣味→サッカー、洋画鑑賞
好き→ムーミン、暇さえあればムーミンについて考える。

性格→負けず嫌い、とりあえず人と関わりたい。
ひとこと→童顔やめたい。
幼少期から中学生
2000年2月、埼玉県の都会でも田舎でもない場所で生まれました。すでに兄弟は6歳上の姉、2歳上の兄、1歳上の兄がいて、さらに私と一緒に生まれた双子の妹がいます。なんとまあ5人兄弟。下の4人は歳が近いこともあり、ずっと一緒の生活。4個つながっているベビーカーが町を歩くと幅はとるは、人々が集まってきて話しかけられたりで、なにかと有名な家族でした。基本的に家で一人になることがなく、だれかしらいるので遊びに飽きることはなく楽しい幼少期でした。

幼稚園、小学校に入ると友達もでき、毎日公園で遊びました。ここで双子の便利さを知る。どんなに忘れ物をしても貸し借りできる。父がサッカークラブを経営している関係で、自動的にサッカーをやることに。男の子に囲まれてサッカーをしていたので、自分が女の子だと認識したのはだいぶ後のほうです。
サッカーの練習に没頭し、家に帰ってもサッカーの話。そんなかいあってか、トレセンメンバーに選ばれました。しかし年を経るにつれて、サッカーをするのが楽しいものから辛いものになり、さぼりがちに。最終的には父のクラブチームを辞めました。サッカーは趣味レベルでいいという結論に。今でもサッカーの試合を見に行ったり、フットサルをやったり楽しんでます。


中学生に入ると何があってそうなったのか、今までの道と全く違う音楽の世界、吹奏楽部に入ることに。新しいことに挑戦したいという気持ちが強く、興味本位で入部。
え????????まって休み1日もないじゃん。そう、入部したのはめっちゃくちゃすごい吹奏楽の強豪校だったのです。毎日朝から晩まで怒られ泣いて練習して粘るの繰り返し。今までの人生の中で一番長く濃い時間だったと思います。ある意味、今のしぶとい根性はここで鍛えられました。

高校生活
高校は埼玉県内の自称進学校に入学。やっと双子のかたわれと違う進路を選択し、それまで登下校もともにしていたのに、急にいなくなるとなんだかさみしくなり、双子のありがたさが身にしみました。これが失ってから気づくっていうやつですね。
みなさん気になる双子の存在ですが、残念ながら二卵性で顔や性格、身長、好み、なにもかも違います。私は文系、妹は理系。勉強は教えあえていいんですけどね。ただ学校入れ替わって行こうよとか、同じ服着てぐるぐる回ってどーっちだ?とか、そういう双子の特権てきなのはないですね。。。
妹は私たちはテレパシーで繋がっているんだとか言いますけど、一緒にいる時間が長いから思う事とかがわかるだけで、頭の中で会話とか出来ません。
えっと、高校は外国語科っていうのもあり、英語や海外の人と関わる機会がありました。


めちゃめちゃ英語ができるっていうわけでは決してないです。周りの友達が頭がよく、テストで負けたくないという気持ちから勉強を必死になってやりました。
学校のスローガンで知・徳・体、文武両道を掲げているので校則は厳しく、とにかく体育は走る。長距離走大会では女子22km男子30kmを走らされます。
私が高校生活で興味をもったのはこの男女差です。性的役割っていうやつですね。女はこうあるべきとか、男なんだから~とかです。さきほど申しましたが、私は自分が女だと認識するのが遅かったので、女のカテゴリーで分けられるのがとても不思議でした。べつにバイセクシュアルでも全然ないんですけど。なんとなくその性的役割の考え方によって選択肢が限られている気がして。それで調べているうちに海外では性別で分けられない教育や社会が整っている国があることを知りました。それで、うわ~すげえ、こんなに考え方違うんだって思って、もっと海外のことしりたいっていう流れで今にいたります。
部活は人を助けたりサポートするってどんな感じなのかなっていう、またまた興味本位でバレー部のマネージャーをやりました。この経験では何よりも‘‘ありがとう‘‘っていう言葉の重みを知りました。誰かをサポートするって大変だし、時には心が折れそうになるけど、仲間の喜びが自分にとっても最高に嬉しいってことを学びました。同時に自分も周りに支えられていることを理解して、しっかり感謝の気持ちを伝えようって心掛けています。

海外進学を目指したきっかけ
ここが重要なのに、ここまで長々と書いてしまいすいません。はい、実は私の叔母がヨーロッパのチェコ共和国のプラハというところに住んでいて、祖母が毎年3か月間チェコに行って周辺の国を旅しています。死ぬまでにヨーロッパを制覇することが夢だそうです。そんな叔母と祖母をもつ私は2人の話を聞くのが大好きで、憧れでもあります。
私は大家族のため出費が多すぎるので決して贅沢はできなくて、一生懸命働いている両親に自分のしたいことを言えずいつも気持ちを押し殺していました。それに加えて家系的に病気がちで、母は甲状腺がんと耳の手術を、兄は産まれた時にすぐ包帯ぐるぐる巻き、もう1人の兄は産まれてすぐ保育器に入れられ鼻がわるかったので手術を、妹は心臓が悪く手術を、祖母は薬の飲み過ぎで一時期薬物乱用状態に。本当にお金がかかりました。
威厳のある父は大学は勉強しにいくところで、とりあえず大学行くっていう考えは却下なので成績の悪かった兄たちは大学に行けず力仕事をして、頭のいい姉は大学進学はしたものの、度重なる手術のため半年で学校に行けなくなりました。姉はそれからめっちゃくちゃ働き最近夜間の大学に通いはじめました。
そして双子が進路を考える時期になって、2人で話し合って、親に頼らないっていう選択肢を探そうっていうことになりました。妹は私より遥かに頭がよく、天才肌でまさに将来有望なリケジョ。大学にいくならしっかり勉強したい。けど勉強内容と金銭的にビビッと来る大学が日本にないやん。も~この際アメリカにでも行っちまうか、おいめっちゃ学費高いやん。どーすりゃいいんだぁ~ってなって悩んでいた私を後押ししてくれたのが叔母でした。
私は視野を広げ奨学金制度のあるヨーロッパ大学を目指しました。とりあえず、ネットや本を隅から隅まで読んで必要な書類を準備し始めました。学校の先生も海外大学に進学するのはあなたが初めてです。って言うのでワクワクと不安をもち、同時に英語の勉強を進めました。
そんなある日、祖母の家でいつもどおり話を聞いていると、母からLINEがきて、内容は息ができなくなって病院に運ばれたとのこと。その後はいく末が見えない状態が続いて、わらにもすがる思いでGood Friends Japanさんに連絡しました。返信が来た時は嬉しくて、本当に親身になってくださったので感謝の思いでいっぱいです。切羽詰まった私に救いの手を差し伸べてくださり本当にありがとうございます。
現在
今は桑原さんをはじめ、Good Friends Japanスタッフさんに大学を調べてもらっている最中です。周りの友達はとっくに指定校推薦で決まった子ばかりですが、彼らの応援に支えられてIELTSの勉強を頑張っています。私の挑戦はこれからです。いろいろなことにめぐりあい、その情報をシェアしてみなさんのお役に立てれば幸いです。
とても長く後半は深刻な自己紹介でしたが、読んでくださりありがとうございました。
