
愛知県に住んでおります、山本という者です。
自分にはどうも文才がないのですが、人を惹きつけられるような文章を書けるように試行錯誤している途中です。
稚拙ながら、今回は自己紹介を書いていこうと思うので、読んで頂けたら幸いです。
【自己紹介】
2001年生まれで、現在18歳です。
今年の2月に高校を卒業して、今は英語の勉強をしつつ、日々、留学に関する情報を集めながら、海外渡航できる日を心待ちにして生きております。
好きなことは、海外ドラマ(特にアメリカのドラマ)を観ること、音楽を聴くこと、本を読むこと、お笑い番組を観ることです。
昔はよくアニメも観ていて、ボカロにもハマっていました。
海外ドラマはアマゾンプライムでThe Good Wife,Prison Break,The Mentalist,BATES MOTELを全シリーズ観終わって、BOSCH,SUITS,Chicago Fire,THIS IS USは続編を待っているところです。
早くNetflixに加入して、Breaking Badと梨泰院クラスを観たいと思っております。
音楽は、日本のロックバンドを初めとして、色んなジャンルを聴いています。
あまり順位を決めるのが好きではないのですが、私にとって夜の本気ダンスは格別なので、ぜひ聴いて頂きたいです。
夜の本気ダンスのライブに行った帰りに撮りました。
テストが終わったその足で新幹線に乗って神奈川まで行って、夜の本気ダンスのライブに行って、夜行バスで愛知まで帰ってきてまた学校にテスト受けに行きました。
好きなことに対しては行動力があるので、そんなところは自分でも好きです。
本は、最近あんまり読めていませんが、湊かなえさんのを好きでよく読んでいました。最近は、経済学、難民、教育についての本を読んで、知識を得ています。
今は、ソーシャルビジネスについてもっと勉強したいと思っています。
好きなお笑いコンビは、見取り図、ジャルジャル、ハナコ、霜降り明星、EXIT、ロングコートダディです。
見取り図ディスカバーチャンネル面白いのでぜひ…。
基本的に仲がいいコンビが大好きです。あと人を傷つけないお笑いをやっているコンビを推しています。
好きなアニメは、進撃の巨人、坂本ですが?で、漫画は、BLEACH、バクマン。です。
ボカロは特にIAが好きでした。カゲプロとハニワをよく聴いてました。
好きな物は、メガネです。特に黒縁メガネが大好きです。私は一生メガネで生きるつもりです。
趣味は、母と素敵なカフェ巡りをすることで、
特技は、手羽先やフライドチキンを綺麗に食べられることです。
生活していく上で守っていることは、食べ物飲み物を絶対に残さないことと、好きなことをして生きることです。
夢は、全部の国に行くことで、それが無理そうだったら全部の国の人と会って話すことです。
今はスペイン語、フランス語、中国語、ベンガル語に興味があります。
【留学しようと思ったきっかけ】
何がはっきりとしたきっかけだったかは覚えていませんが、中学時代の英語の先生、高校で見つけたスクラップ、高校2年の時にカンボジアに行ったことなど、色んなことが重なって、留学したいと思うようになったのだと思います。
最初に、初めて留学を意識し始めたのは、中学生の時に出会った、英語の先生です。
私が通っていた中学校は、1学年平均120人ほどの小規模の学校だったので、その先生には3年間授業を受け持って頂きました。
先生は、大学時代にカナダに留学されていて、授業中、カナダの大きな滝、見たことないぐらい積もりに積もった雪などの写真を見せて下さいました。
画面越しでしたが、豊かな自然を感じられて私は一瞬でカナダの虜になります。
十分なお金と十分な時間があって、カナダに行ける状態ならすぐにでも行きたいです。
学校はずっと嫌いでしたが、週4,5時間あった英語の授業だけは毎時間本当に楽しくて、先生のおかげで英語が大好きになりました。
それまでは触れたこともなかった洋楽も授業で聴くようになって、今でも聴くと中学時代を思い出せるので、時々聴いてはノスタルジックな気分に浸っています。
さて、ここまで読んでくださった方は、こんなに英語が好きになったのだから、もちろん国際教養学科のある高校を選んだのだろう、と思われたかも知れませんが、なんと私は家から自転車で15分の総合学科の高校に行きます。
もちろん英語は大好きで英語を話せるようになりたいとは思っていましたが、英語と社会以外の勉強が本当に嫌いだったので、高校卒業後は就職するつもりで公立は一校だけ受験しました。(私が中学生だった頃、愛知県の中学生は公立を2校受けられました。今はわかりません。)
今思えば、受かるか受からないかは別として、挑戦ぐらいはしておけばよかったです。
そして、高校生になり、私は自分の選択を後悔することになります。
元々、偏差値が50の高校だと知っていて入りましたが、予想以上に周りとの勉強に対するモチベーションにギャップがありすぎて、私は絶望しました。(後にわかりましたが、ただ私のクラスがおかしかっただけで、他のクラスは普通でした。)
中学生だった時は、家で宿題をやりたくない一心で、休憩時間を見つけては宿題しかしていなくて、友達もそういう子が多かったので、それが当たり前でした。
そのため、空き時間に勉強するだけで真面目だね、と言われるのが理解出来ず、ここでの普通は今までの普通とは違う、と気付きます。
それからは、周りに流されずに自分で勉強しよう、と決めたものの、やはり勉強は嫌いでした。テスト前にしか勉強しないようになって、堕落した生活を送り続けて、それからずっとそんな感じで今まで過ごしています。今までの人生の中で1番勉強したのはいつですか、と聞かれたら、迷いなく中学3年生の時です、と答えます。
話を戻しますが、次なるきっかけは、高校1年次、美術部に所属していた時に見つけた、あるスクラップです。
私は当時、自分で作ったコラージュからイメージしてキャンバスに絵を描く、という課題をやっていたので、雑誌から気に入った切り抜きを集めていました。
その時に、インドの売春を特集している記事を見つけました。内容はぼんやりとしか覚えていませんが、ネパールからインドへ売られる女の子や、幼いうちに結婚させられる女の子の話が載っていたと思います。
私は衝撃すぎて、家に帰ってからそのことについて無我夢中に調べました。
そして、ふと小学生の時にみたあるCMを思い出しました。アフリカの小さな子供が俯いているCMです。おそらく、アフリカを支援している日本のNGOのCMだと思います。
その一連の出来事のおかげで、私の何となく海外に行きたいという夢が、達成したい目標に変わりました。そこから、国際協力の道を志し始めます。
それからすぐ、学校が募集していた、カンボジアに絵を教えに行くというスタディツアーに参加出来ることになりました。行けるとわかった時は、本当に嬉しかったです。
これが3つ目のきっかけになりました。
出発までの毎週土曜日の午後に、同級生、先生と準備や練習を重ねて、ついに高校2年次の8月上旬、念願のカンボジアへ出発します。
初めての飛行機、初めての海外だったので、何もかもが新鮮で驚きの連続でした。
画像荒くてすみません。大きな木です。
カンボジアのシェムリアップというところに行って、世界遺産のアンコールワットを見てきました。大きかったです。
現地には、中学生に絵を教えに行くという名目で行きましたが、私なんかが絵を教えられないわ、という思いと、言葉が通じない中でどうやって教えるんだ、という思いが入り交じっていて、アイコンタクトや微笑むことでしか意思疎通が出来ませんでした。
そこが1番悔やまれるところです。
次に行く時には、通じなくてもいいから、話すことを頑張ってみます。
帰国した後、激しい腹痛に襲われたこと以外は、本当にいい経験になりました。高校生のうちに途上国に行けた経験は、一生の財産です。
カンボジアは過去に残虐な虐殺があって、それを知らない方も多いと思うので、いつかカンボジアについての記事もどこかで書けたら嬉しいです。
日本に帰ってきてからは、愛知県の商業系の高校のスピーチコンテストに学校代表で出場して、カンボジアでの経験を話しました。
自分で英語の原稿を書いて、先生に添削して頂いて、スピーチ原稿を覚えて、発音も直して、手振り身振りも加えて、とすごく大変でしたが、ミスすることなくやりきれました。
結果は10人中6位だったので、あまり芳しい結果ではありませんでしたが、全部出し切れたので本当に良かったです。出たことに意義があるので、ここにおいては、後悔はないです。
それから、学校の勉強もしつつ、英語の資格を取ろうと思って、まず全商英語検定1級を受けました。商業の英語なので難なく取れました。そして、高校3年次に、実用英語技能検定2級を受けて、ギリギリ受かりました。
これはただの言い訳に過ぎませんが、高校に入ってから、先生が好きじゃなくて、英語もあんまり好きじゃなくなってしまっていたので、勉強に身が入らなくなってしまいました。
英語だけは自分でやるべきだったと猛省しております。
人生後悔することばかりですよね。私だけでないと信じています。
それから、大学受験をします。もっとはやくGood Friends Japanを見つけていれば受験せずに済んだかもしれないですが、後で日本の大学に行きたかった、とならないように受験したので、後悔はしていない(と言いたい)です。
まず、どうして就職希望だった私が大学に行きたいと思うようになったかを話そうと思います。
私はさっきも言ったように偏差値50の高校に通っていたので、自ずと成績がいい方でした。
そのため、なぜかこれは私レベルでも大学に行けるのではないか、と思い始めます。そして、ついに高校1年の初めに進路を国公立大学に変えました。
しかし、授業で美術を取っていたので、美術部に入ることになり、そこからまた進路を変えて国公立美術大学を目指します。
ですが、1年経ったあと、私は特段デッサンが上手い訳でもないし、絵を描くことが好きという訳ではないと気付き、また国公立大学に進路を変えました。
ここまででお分かりになるように、私はすごく優柔不断で意志が弱いので、コロコロと今まで進路を変えてきました。もっと細かくもできますが、今回は省きます。
2年次には、担任の先生から卒業生で台湾の大学に行った人がいるよ、ということを聞いて、調べ始めますが、やはり中国語の塾の費用が高くて、諦めてしまいました。
そして高校3年になります。教育を学びたいと思っていたので、3教科で受けられる国公立大学を探して、志望校を決めました。
ですが、そんな中でもどこかで海外の大学に行きたいという思いが片隅にいつもありました。
そんなこんなで勉強も捗らず、8月にフォルケホイスコーレという学校が北欧にあることを知り、ここに行こうとします。
・フォルケホイスコーレとは…民衆の民衆による民衆のための成人教育機関。19世紀にデンマークの農村を中心に発達し、勤労青年を主たる対象にした社会教育施設である。デンマークのニコライ・フレデリク・セヴェリン・グルントヴィが理念的なものを提唱し、のちにクリステン・コルが寄宿制の学校として創始した。デンマークの民主主義普及に大きく貢献した功績がある。日本にも大正初期に伝えられ、その後の農民教育に大きな影響を与えた。
日本とデンマークでは教育システムが異なるので単純に比較はできないが、日本でいう大学の位置づけにある学校組織である。しかし大学(ユニバーシティ)や単科大学(カレッジ)とは全く違い、単位や学位は取れないが、自由な雰囲気の中で自然を謳歌しつつ学べる全寮制の学校である。「民衆大学」「市民大学」「国民大学」「国民高等学校」「成人大学」などと訳される
引用…Wikipedia
始業式を終えて、行きたい大学がないので、フォルケホイスコーレという学校に行きたいです、と進路希望調査に書きました。
その後、呼び出されてなんでここに行きたいのか?ここを卒業したあとはどうするのか?と散々聞かれました。
私ははっきりと受け答えが出来ず、先生の圧に負けて、結局日本の大学に行けなかったらそこに行くので、とりあえず大学は受けます、と言ってしまいました。
先生としては、私の進路を心配して仰ってたんだと思いますが、私はその時もう日本の大学に行くしか選択がないのだな、と漠然と考えるようになっていました。
私が通っていた学校から、海外の大学に正規留学する生徒などほとんどいないので、私もはっきりと海外進学するとは言えなかったです。
そこからとりあえずセンター試験は申し込んでしまったので受けて、2次も受けました。英語の小論文だったのですが全く意味がわからなくて、逆に焦らなかったです。
日本の大学に行けなかったのは私自身は全然いいのですが、知り合いには大学受けると言っていたので、親にいちいち説明させてしまっているのが申し訳ないと思っています。
だからこそ早く進路を決めたいのですが、こんなご時世なので先がわかりませんし、まだまだ迷っているのでそこを逆にチャンスだと思って、今できることを精一杯やります。
【直近の目標】
とりあえず、いつになるかわかりませんが、東南アジアをバックパッカーとして旅したいと思っています。マレーシアの大学を見に行くついでで、1ヶ月ぐらいマレーシア付近のタイ、ベトナム、ラオス、インドネシアに滞在することを考えています。
また、フォルケホイスコーレは社会人になって自分で費用が賄えるようになってから、絶対に行くと決めています。
【最後に】
まだはっきりと決めたわけではありませんが、今のところ、ヨーロッパに正規留学しようと思っています。元々はマレーシアに3年間行こうと思っていましたが、どうしても費用面が厳しいので、今ヨーロッパを調べているところです。
専攻は国際ビジネスを希望していますが、教育にも興味があります。
長くなりましたが、以上で今回は終わりです。ここまで読んで下さりありがとうございました。