自己紹介

【自己紹介】Masumiです

初めまして。Masumiです。この度、Good Friends Japanさんに留学サポートをお願いするにあたり、自己紹介をさせていただきます。

  • ・略歴
  • ・英語と私
  • ・留学を思い立ったきっかけ
  • ・フィリピンでの生活
  • ・東欧で留学を希望する理由

略歴

↑愛用のカメラはPENTAXのK-50です

兵庫県出身、京都在住。高校まで神戸の実家に暮らし、大学進学をきっかけに京都に住み始めました。祖母の家が京都なので、現在に至るまで居候を続けています。

趣味は写真、旅行、ライブに行くこと。特に好きなアーティストはPerfume。ほとんどすべてのツアーに参戦し、時には東京ドームや幕張メッセまで遠征しています。Perfumeについて話しだすと止まらないので、何時間でも喋ってしまいます。最近はジム通いも始め、虚弱体質を改善すべく筋トレに励んでいます。

大学では植物生理学を専攻。シロイヌナズナという植物を相手に、日夜実験漬けの日々でした。

英語と私

小学校のころから近所の英語塾に通っていたこともあり、中学までは得意科目の一つでした。しかし、高校進学後は中学から続けていた吹奏楽にのめりこみ、全国大会出場を目指して練習漬けの日々。担当楽器はトランペットで、指揮者もやっていました。

忙しさの中でまったく勉強に手が回らなくなり、成績はあれよあれよという間に急降下していきました。進学校であったため授業にもついていけなくなり、授業を欠席して部活だけ顔を出すなんてことも多々ありました。

そんな調子だったため、大学受験は見事に失敗。一年浪人した末、当初の志望校からはかなりランクを落とした大学にやっとのことで合格しました。

上記のことからわかるように、私の英語のスキルは中学でストップしており、大学の授業でも英語に関係したものはかなり苦手でした。

中でも、研究室では半月に一度、論文発表といって最近の論文(もちろん英語)からテーマに沿ったものを自分で選んで内容を読解したものを研究室のメンバーの前で発表しなければならなかったのですが、毎回準備にとても時間がかかり、苦痛でした。なんとなく意味は取れるんだけど、文法的に理解しているわけではないので読み進めている間にだんだん混乱してきてしまう、語彙力がないのでいちいち単語や熟語を調べなければならないなど…自分のスキルの低さを実感しました。

また、私は成人するまでパスポートを取ったことがなかったのですが、(ちなみにディスニーランドも行ったことがなかった!)大学の卒業旅行で友人と初めての海外旅行に行くことになりました。

行き先はイタリアとフランス。私の希望でイタリアにしてもらったのですが、その理由は『ジョジョの奇妙な冒険』という漫画にハマっていたから。何部にもわたる超大作なのですが、第五部の舞台がイタリアなのです。どうしてもローマの街並みをこの目で見たくて、友人に頼み込みました。パッケージツアーだったため、ゆかりの地すべてを回ることはできなかったのですが、イタリアの空気を肌で感じることができ、大満足の旅でした。

また、フランスではモンサンミッシェル近くのホテルに一泊し、夜には一人で一眼レフと三脚を担いで夜景を撮影しに行きました。あたりは街灯もなく真っ暗で、夜空いっぱいに星が瞬き、遠くに明るく照らされた美しいモンサンミッシェルの教会が浮かび上がる…なんとも言えない幻想的な光景でした。

そしてそれ以上に忘れられないのが、思う存分撮影をしてホテルに帰ろうとしたその帰り道です。路面バスに乗り込むと、私の参加していたツアーとは別の団体と乗り合わせ、車内は日本人の女の子でいっぱいでした。そして次の停留所に停まった時、白人の若い男の子が2,3人乗ってきました。彼は乗るなり「Hi!Japanese girls! What’s up?」(うろ覚えですがこんな感じのことを言っていたと思います。)と大声で車内全体に話し掛けました。当然、誰も言葉を返す人はおらず、沈黙。バス内になんともいえない空気が流れました。隅っこのほうでカメラを抱えていた私も、何も言葉を発することが出来なかったのですが、頭の中では必死に英文を組み立てていました。

(元気だよ!あなたはどう?)(どうして私たちが日本人だとわかったの?)(あなたたちはどこの国から来たの?モンサンミッシェルは見た?)

言いたいことは次々浮かんでくるのに、言葉に出せないもどかしさ。ああ、少しだけでも英語が話せたら…。そんな後悔が残る出来事でした。

留学を思い立ったきっかけ

就職後も、幼いころからあった漠然とした英語へのあこがれは続いていました。その理由は単純にかっこいいから。京都という土地柄観光客が多く、英語で話しかけられる機会もあります。そんな時にペラペラと英語で応対が出来たらなんてかっこいいだろう。また、私は推理小説が好きで、特にシャーロック・ホームズシリーズが大好きなのですが、いつかオリジナルの原書で読んでみたいという密かな野望がありました。

会社勤めをしながら土日にIELTS講座に通ったり、高校時代の参考書を引っ張り出してきておさらいしたりと細々とやっていたのですが、忙しさからいずれも長続きせず、いっこうにスキルアップの兆しはありませんでした。そんな時、激務で身体を壊し、仕事を退職することになり、今後のことをゆっくり考える機会が出来ました。

(私が本当にやりたいことはなんだろう?)

そう考えた時、頭に浮かんだのは「英語を生かした仕事がしたい」ということでした。英語を使って仕事をするには、実務レベルで使える英語を身につけなければならない…。でも独学では限界がある…。

そこで私はまず短期で語学留学することにしました。行き先はフィリピンのバギオ。期間は10週間。インターネットで調べたり、留学エージェントさんの話を聞いている中で、価格も安く、マンツーマンで授業が受けられるとあってフィリピンに決めました。

フィリピンでの生活

語学学校のあるフィリピンのバギオという街は、マニラ空港からバスで6時間ほど行った山の中にありました。標高が高く、南国のフィリピンですが、平均気温は年間を通して20度前後。雨季と乾季があり、日本でいうと春と秋を繰り返しているような気候です。

私の選んだ学校はスパルタ方式を取り入れており、土日以外は外出禁止、門限あり、母国語禁止(破れば罰金)、授業はIELTSのSpeaking Task×2、Writing×2、Reading、Speakingの授業(ほとんどがマンツーマン)を毎日こなすというハードな内容でした。

朝は6時45分からMorning Classが始まり、夕方に授業が終わり、宿題をやって、20時からの単語テストを受け、毎週金曜はIELTSのモックテストがあります。寝るのとご飯を食べる以外はすべて勉強漬けというハードすぎる毎日に、高校から今までロクに勉強してこなかった私は早々に音を上げ、寝込みました。

さらに、学校が韓国資本だったため、食事が主に韓国料理ベースで辛い料理に胃をやられたことも追い打ちをかけました。ある日、寝込んでいた私を心配して友達が部屋を訪ねてきてくれたのですが、話している途中で貧血を起こして卒倒してしまい、タクシーで病院に運ばれそのまま三日間入院することになりました。点滴を打たれながら朦朧とする意識で(私は何をやっているんだろう…?)と悲しくなったのを覚えています。

退院した後も、勉強したいのに身体がついてゆかない歯がゆさを覚えながらなんとか日々を過ごし、10週間が終わりました。思っていたレベルまでは到底届いていなかったため、帰国前にさらに10週間の延長を申請し、一カ月の一時帰国の後、再びフィリピンに戻りました。

本当は日本に帰った時、ご飯のおいしさとファシリティの居心地の良さにフィリピンに戻る心が折れかけていたのですが、(フィリピンには日本のコンビニフーズと牛丼チェーンがない!)それを読んでいた私は自分にフィリピンに戻らざるを得ないご褒美を用意していたのです。

それは留学後の一週間のNY旅行!しかも、ちょうどその時期はPerfumeが北米ツアーを行っており、NY公演のチケットが取れたのです。

留学でちょっとでもレベルアップできたのか、自分の英語スキルを試すいい機会であり、なによりPerfume見たさにフィリピンに戻った私は、再び寝込みつつもなんとか10週間を乗り切ったのでした。

↑最後の休暇に友人としこたまお酒を買い込んでいるところです。

初めてのアメリカ一人旅は、最高の経験となりました。晴れ渡った青空に映える自由の女神やブルックリン橋、どこを見ても教科書で見たことのある美術品に囲まれたメトロポリタン美術館、ナイトミュージアムでおなじみの自然史博物館、広大なセントラルパークなど、見るものすべてが新鮮でした。

フィリピンでの生活を振り返ってみれば、つらいことが9割でしたが、新しい友人もたくさんできましたし、日本で細々と勉強を続けていたころと比べれば格段に英語力が上がったと自信を持って言えます。NYのど真ん中でスマホのバッテリーが切れて途方に暮れていた時には、勇気を出して道行く人に道を聞き、無事に駅へたどり着けましたし、Perfumeの公演後には現地のファン同士で盛り上がり、ビールを飲みに行きました。

↑Hammerstein Ballroomにて、Perfumeのライブ

そして、このフィリピン留学をきっかけにして、今まで漠然と抱えていた大学留学への気持ちがより確固たるものになったのです。

東欧で留学を希望する理由

フィリピンで一緒に学んだバッチメイトはほとんどが次の進路を決めていて、そのために必要なIELTSやTOEFLのスコアを取りに来ているという人が大多数でした。私はまだ日本で就職するか大学留学するかを決めかねていました。主な理由は費用と年齢です。「この齢になってまだ大学に行きたいなんて甘い事を言っていていいのか?」と自問自答を続けていました。

しかし、日本で専攻していた生物をもう一度英語で勉強しなおしたいという希望があり、それをするには、やはり大学留学しかないという結論に達しました。

ではどこの国へ行くか、と考えた時、始めはイギリスや環境問題で進んでいる北欧での留学を考えていました。しかし、ここでもネックになったのは、やはりお金です。現実問題として、とても捻出できる金額ではありませんでした。

そんな時、インターネットで東欧留学という選択肢を見つけ、これだ!とGood Friends Japanさんに留学サポートをお願いすることに決めました。ハンガリーのセゲド大学にagriculture engineeringコースがあり、半年の企業インターンシップが受けられるという私にぴったりの進路を見つけられたことも決め手でした。

Biology専攻という選択肢が少ない中ではありますが、Go for broke!  希望を捨てずに留学の夢を実現したいと思っています。