自己紹介

【自己紹介】Mizuki

初めまして!Mizukiです。

アメリカの大学に進学予定もヨーロッパの大学に、方向転換しました。

一旦、方向転換した話は置いておいてそもそもMizukiって誰?どんな人?についてお話させていただきます。

自己紹介

簡単に説明すると、

「18歳」「生まれも育ちも大阪の根っからの関西人」「好奇心モンスター」   

「挑戦家」「学生NPO団体理事」

2002年2月12日に大阪に生まれ大阪に育ち、この前の2020年3月に高校を卒業しました。

ここから、私の人生を二章に分けて説明します。

第一章:私の性格

 上にも書いてある通り、今は「好奇心モンスター」です。何か新しいことに出会ったり、何かしたい!と思ったことには後先考えず、即座に行動するタイプの人間です。挑戦せずに後悔したくないので!!

“今は”と書いたのには理由があってつい3年前までは、人に流されて、友達と家族と共にしか行動できないタイプでした。(小学6年生のころ、人に流されるなと先生に怒られるくらいでした。笑)これにも理由があって、単純に“人と違うことをすると嫌われる”と思って“嫌われない”ために人に合わせて15年間生きていました。

“なぜ変わったのか?”

人に合わせて生きる、そんな自分が嫌いになった時がありました。それが中学3年生のころです。周りは夢を持ち始めて自分の人生を生きているのに、自分は何をしたらいいのかわからず、ただただ自分のことが大嫌いで毎日が嫌になってきたときに、真剣に変わりたいと自分を見つめなおしました。

「自分は何が好きなのか」「何がしたいのか」そう考えていると元々好きだった英語、留学に興味がわいてきました。K-POPアイドルも好きだったので、英語、韓国語が学べる、留学へ行ける高校に進学を決め偏差値を30くらい上げて(元が馬鹿すぎて汗)合格したころには自信がわき自分のことを好きになることが出来ました。ただの長い思春期だったのかも、と今になっては思えます。

長くなりましたが、ここから私の人生の二章が始まりました。

↑高校の韓国語の授業での写真

第二章:高校三年間で得たもの

まずは、留学、旅行で得たものについて。    

学校からの留学で二週間、初めての海外のオーストラリアのアデレードに行きました。

そこでは日本とは違う環境に初めて飛び込みすごくワクワクしました。

オーストラリアに行ったときに一つ後悔したことがあります。それが学校からなので日本人で固まってしまうということです。その後悔を忘れられず、高校2年生の時に両親にわがままを言い、2週間ですが一人でカナダのバンクーバーに留学しました。

そこで感じたことがたくさんありました。特に感じたことが「もっと英語を話して沢山の人と話したい!」ということと、「バンクーバーのホームレスの多さ」です。この「ホームレスの多さ」を感じてから沢山の社会問題に目を向けるようになりました。

旅行では、元々好きだった韓国に7回、アメリカ、ロサンゼルスに1回友達と行きました。修学旅行では、台湾へ行きました。旅行を通して感じたことは「国それぞれの文化の違いの面白さ」「多くの国の言語習得をしたい」ということです。「言語習得」を通じて沢山の人と濃く関われると感じたからです。

高校にてもう一つ大きなことを得ました。高校1年生の時に一つ夢が出来ました。

私の夢は“起業すること”です。なぜ私が起業したいかというと、電車通学になって感じた「通勤・通学をしている人の顔が死んでいる」ということです。これから就職していかなければならない私にとっては、すごくショックでした。そこから「私が行きたいと思ってもらえる楽しい会社を作ろう!」と思ってから夢になりました。私にとって起業は目標ではなく、手段に過ぎないと思います。

高校では沢山のことを得ました。

夢について考える機会

 自己紹介のところに、「学生NPO団体理事」と書いたのですがこのことについて説明させて頂きます!

先ほどお話した通り、高校生の時に夢が出来ました。日本では夢について話す機会が全くなく、私自身も色々な講演会に参加してそこで出会った人にしか話す機会がありませんでした。

しかし、高校三年生の時に通い始めた英語塾ではほぼ毎週のように自分たちの夢について考える機会があったのです。そこで私が感じたことは、「夢を語ることってこんなに楽しい事なんだ」「もっと夢について語れる機会」を創りたいということでした。

そう思ううちに高校を卒業してバイトだけをする空白の期間がやってきたときに「夢を語れるコミュニティを作ろう!」と思いました。そこでSNSを通じて呼びかけていると今所属している学生NPO団体の代表の方に出会ったのです。そこから私が代表をして「夢を語れる場」「若者の夢を発信する場」を創り始めたという感じです。

すべて私に任せてもらっていて、今では、若者を取材し記事・動画にして発信し取材させていただいた方たちと交流会などで夢を語り合っている状況です。留学までも行ってからももっと発展させていこうと思っています。

留学を決めたキッカケ

 先ほど、お話した通り高校は国際系に進んだものの公立高校だったので、普通の公立高校よりは国際交流が盛んなものの海外の大学に進学する人はごく稀でした。

 一応進学校だったので、1年生のころから進路について考える機会が多かったです。そのたびにぼんやりと、「海外に行きたい」と考えていました。ですが、考えてはいたもののハッキリとは決めきれずだらだらと勉強をして自分は結局、日本の外国語大学に進むのだろうと思っていました。そうして3年生になったときに、体育祭の応援団で副団長を務めて3月から6月までの4か月間進路について何も考えていなかったのです。表面だけみると、“応援団”が進路の邪魔をしたように見えますが“応援団”がキッカケでアメリカの大学に進学を決めました。

 ある女の子との出会いです。その子は同じ団で一緒に副団長をしました。立候補で選ばれて、副団長になるので学科の違うその子とは話したこともなかったのです。応援団も終わりに近づいてきたころには気が合い仲良くなって親友にまでなりました。進路について話していた時に私がぽろっと、「海外行きたいんよな~」と話すとその子も海外に凄く興味があることを教えてくれました。そこから、お互いに海外の大学についての情報共有が始まりました。ビジネスと英語の両方を学びたかった私にとって英語でビジネスを学べることはすごく効率のいいことでした。その子もビジネス関係のことを学びたいと言っていたので、ほかの国はあまり視野に入れずアメリカに即決しました。2月にはアメリカを一度見てみたかったので2人で旅行にも行きました。

留学への後押し

 私が留学に行こうと踏み切れたのは先ほど話した親友のおかげなのですが、後押しをしてくれた人が沢山いました。一番は間違いなく両親です。「留学に行きたい」と、両親に話したときに反対されませんでした。私の両親は私がオーストラリアやカナダに行きたいと言った時も私が何かするってなったときに絶対に反対せず「あなたの人生だからあなたが決めなさい」といってくれます。そんな両親がいたからこそ、こんな私がいると思います。

 次に高校三年間持ってもらっていた担任の先生です。その先生は私のことをよく理解してくれていて、“やってみないとわからない”という精神が一緒ですごく話が合いました。先生自体も生徒に授業で学べることだけではなく色々なことをできる機会、外のことを知る機会を作ってくれました。そんな先生も留学を決めたときに海外へ進学することが未知ながらも後押ししてくれました。最後に友達です。

アメリカからヨーロッパへ

 次に冒頭にお話しした「アメリカの大学に進学予定もヨーロッパの大学に、方向転換したのか」についてお話します。

 そこから出願などを終えて高校を卒業し、2020年の9月より渡米する予定が世間を騒がしているコロナウイルスです...渡米できなくなりました。アメリカの大学には入学時期が2つあってもう一つは1月(春入学)です。「オンラインでの入学はいや!」と思っていたので入学時期を変更しました。ところがどっこい、1月以降(春学期)も私の進学予定だった大学はオンラインを決めてしまいました。

「モチベーションが下がらないうちに早く留学に行きたい!」「早く沢山のことを学びたい!」と思っていました。そのため、それを機に英語以外の多言語にも興味があったのでアメリカに拘らず他の国も見てみよう。と思い、探していたところに、Good Friends Japanに出会い、即座に桑原さんに連絡させていただきました!ヨーロッパという選択肢を知り、即決しました!何でも“挑戦”してみるべきだという私の血が騒いだからです(笑) 何でも挑戦してみないとわからないことの方が多いです。今は出願やIELSの勉強で忙しいですが、頑張っていこうと思います。2月から私の人生の第三章が始まります。

留学を通じて得たいもの

 私の人生の第一章では病み期を乗り越え、第二章では沢山のことを知り、次に第三章で私が得たいもの、したいことお話します。留学するなら、もちろん言語・ビジネススキルは得たいです。というか、得ます。一番得たいものは自己実現力、自分自身で生きていく力。したいことは、沢山の人と出会い色んな人の立場に立ち物事を考えることです。

 私たちは今、男の人ばかりがトップに立つ時代、同性愛者・両性愛者が認められない社会、黒人が差別される社会、少数派が認められない社会、貧困をほっておく社会、環境に悪影響しかない社会ではなく多様性が問われる社会に変化していく真只中を生きていています。

「誰にとっても幸せな社会」を創りたいと考えてきた自分にとって、今の社会をもっとよりよくするために、“自己実現力、自分自身で生きていく力”が必要だと感じたからです。

 私の夢は起業をすることです。働く人もサービスを受ける側もみんながハッピーでいられる会社。そんな夢を実現するために私のターニングポイントである留学を通じて色んな人に出会い、沢山のことを知り、生きていく力をつけたいと思っています。

最後に

 長く、読みにくい文章を読んでいただきありがとうございました!どの場所にいても環境は違えど、お互い咲ける花に。自分の生きる人生を愛して、愛する人生を生きましょう。(「逆境でも咲く花に」「Love the life you live, Live the life you love」私の好きな言葉です。)