【自己紹介】かのん
こんにちは。 かのん です。
この度、Good Friends Japanさんに留学のサポートをお願いすることになり、この記事を書いています。
ここでは、
- 略歴
- 留学のきっかけ
- 南アフリカでの生活
- オーストラリアでの生活
- 大学進学をお手伝いしてもらった理由
の5つのトピックに分けてお話していきます。
もし留学で悩まれている方がいましたら1つの例として、何かお役に立てるかと思います。
略歴

兵庫県出身で、現在、神奈川県鎌倉市に住む21歳です。
兵庫県で生まれ、高校卒業までを兵庫県で過ごしました。
高校卒業後、1年半南アフリカ共和国とオーストラリアで過ごした後、現在はサーフィンのために移住した両親を追いかけ、私自身も湘南ライフを楽しんでいます。
趣味は、ビーチクリーン、SUP(スタンド・アップ・パドル)、ウクレレを練習中です。
職業はフリーランスでオンライン英会話の講師をしています。
家族は、母・父・姉・トイプードルが1匹
旅行好きの両親のもとに生まれ、幼少期(生後1ヶ月でハワイに行ったそう)から高校卒業までに10カ国ほどの海外旅行をさせてもらいました。
1番記憶に残っているのは、家族でキャンピングカーで2週間の西アメリカの旅です。そこで見た、グランドキャニオンやLAの町並みは忘れられません。
それ以外にも、単身でドイツのお寿司屋さんに1ヶ月住み込みで働かせて頂いたことや、ニュージーランドの牧場でのファームステイ、イギリスで未成年が1人で旅をしていることを理由に強制送還されてしまったこともあります。
最近だと、2019年11月に1ヶ月間のフィリピンバックパッカー旅。
2019年12月から年越しに掛けて、1ヶ月間バリ島で住み込みで働かせて頂きました。
とにかく南国や、海のある街が大好きです。
年中、日焼けで真っ黒です。
留学のきっかけ

海外に沢山連れて行ってくれた両親のおかげで英語に興味が湧き、中学受験をして、中高は公立のインターナショナルスクールに通っていました。
学校は特徴的で、
生徒の40%は外国籍を持つ人、40%は帰国子女、残りの20%は「一般」と呼ばれる普通の日本人
という環境で過ごした6年間は私を大きく変えました。
1年生の最初は「何人?」「何語が話せる?」が挨拶でした。
英語、韓国語、中国語、タガログ語、ポルトガル語、ドイツ語など。
自分が得意な言語を、相手が得意な言語を、話すのが普通でした。
もちろん私にはみんな日本語。
周りで友達が違う言語で話していても嫌な気分になったことはありませんでした。
それでも「ハーフ」や「外国人」と呼ばれる私の友人たちは、小学校でいじめられた経験や、差別のある社会で生きていました。
母校は、そういった子供達を守る学校でした。
「日本にしか住んだことないのに、私にも親にも投票権はないねん。」 と、笑う友人を今でもはっきり覚えています。
多様性を認めること、相手の立場になってみることを学んだ6年間でした。
高校3年生になり、進路を決める時期になると、自然と、「いま以上に他文化や他民族について学べる場所に行きたい」と思うようになりました。
その頃には親友たちは、「アメリカの大学に行きたいからアメリカの高校に転校する」と行ってしまったり、「プロのダンサーになる」とイスラエルに行ってしまいました。
もはや友人の面でも日本にいる理由がなくなった私。
両親も、海外に行くことを賛成してくれました。
これが私が「海外の大学に行きたい」と思ったきっかけです。
そのなかでも、多民族国家で英語圏である南アフリカ共和国に、人類学を勉強しに大学へ行くことを決めました。
とはいっても、当時の私は学校内の4段階のクラス分けでは下から2番目。
英検2級レベルの英語力しかありませんでした。
ここから、私の英語との戦いが始まりました。
南アフリカ共和国へ
志望大学の入学条件である IELTS 6.5 を目標に、高校卒業2週間後には南アフリカ共和国にいました。
旅行は沢山したことがありますが、海外に住むことは初めて。
初めてのひとり暮らしでもあり、不安とワクワクでいっぱいでした。
生まれて初めて来た南アフリカ、危険度も習慣も言葉もわからない国。
それなのに、着いた瞬間からなぜか故郷に帰ってきたかのような嬉しい気持ちでいっぱいになり、涙が出ました。
語学学校で日本人は私だけ。
入学テストを受け、6段階中、下から2番目のクラスからのスタートでした。
クラスメイトはコンゴ人、コートジボワール人、ガボン人。
全員フランス語で楽しそうに会話しています。
疎外感から「早く上のクラスに入る」と強く誓いました。
英語が達者なヨーロッパ(ロシア、ドイツ、オランダ、ベルギーなど)の人たちは上のクラスにいたので、その人達について回りました。
それでも全く話にはついていけないので、お酒を沢山飲むことで楽しんでいるのをアピールしていました。(南アフリカでは18歳から飲酒可)
これは他元語の勉強者はよくいうのですが、酔っぱらうと日本人特有の照れが減り、すらすら話せるんです!
そんな、英語の話せない学校で唯一のアジア人のわたしを、疎ましく思った女の子達に仲間はずれにされたこともあります。悪い噂を流されたりもしました。
それでも、その子達の英語力を超えることを目標に、生徒みんなが「厳しい」と避ける先生のところへ毎日通い、追加で宿題を出してもらいました。
はやく英語を習得して、この不思議な魅力の詰まった国、南アフリカを知るために必死でした。
共同のキッチンで毎日勉強する私をみて、いつの間にか、同じアパートに住む、地元の大学生が手伝ってくれるようになりました。
そうして、半年後には一番上のクラスにいました。
でも、人生そんなに甘くありません。
目指していた大学の基準値IELTS 6,5 には到底及ばず、その時点でのスコアは 5.5でした。
(今思うと、それでも十分伸びた方です!)
大学に行けない・・オープンキャンパスに行った大学内で、1人で泣いたのを覚えています。
それから南アフリカから日本へ25時間かかる飛行機の中でも、「帰りたくない」とずっと泣いていました。
オーストラリアへ

でも、ポジティブな私。
南アフリカから帰国後すぐ、アルバイトで3ヶ月でお金をため、
「次は自分のお金で生活しつつ、英語を勉強しよう!」
とオーストラリアのゴールドコーストに渡りました。
オーストラリアに知り合いはもちろんゼロ。
「ちゃんと生きていけるのか・・」
全てが自己責任になり、南アフリカのときとは違う緊張がありました。
入国後はまず、バックパッカー宿に1週間泊まり、その間に家探し、バイト探し、銀行口座の開設などをしました。
日本では両親と暮らし、南アフリカでは両親から援助を受けていたので、何もかもが初めてのことです。
飛行機代や保険料などが引かれ、到着時の所持金は10万円。
「はやく仕事を見つけないと帰国するお金もない!」
仕事探しに必死でした。
それに加えて、お金の関係で学校には行けず、独学での勉強になりました。
でも、南アフリカである程度の英語力がついたので、ローカルジョブと呼ばれる時給のいいアルバイトに採用されました。
(オーストラリアでは、ワーキングホリデーでたくさんの外国人が住んでいるため、英語が話せない人を最低賃金の半分ほどの時給で働かせるお店が沢山あります。それでも、他に仕事がないのでみんなその時給で働いているのです。)
仕事中は「ちゃんと英語を話せる人を呼んで」と言われていまうこともありましたが、そこでかなりスピーキングとリスニング力が上がりました。
海の目の前に住んでいたので、毎日ビーチで朝ごはんを食べ、朝から夕方まで仕事をして、そのままカフェで夜まで勉強、そんな毎日でした。
(海があったことで本当に救われました!)
しかし、独学での勉強と生活していくために働く両立は、当時19歳の私には辛く、自分で決めたことなのに「周りの友達は大学生なのになんで」と思ってしまうときもありました。
なんで英語圏に生まれ育たなかったのかと思ってしまうときもありました。(ないものばかりを欲しがり、自分の弱さを責任転換しようとしていた)
住む家を探している時は、悪質な大家に夜の雨の中家から追い出された日もありました。
それでも、そんな中で必死で過ごした日々は、今では私の強みになっています。
こうして、長いようで一瞬だったオーストラリアで1年間の生活から帰国。
IELTSのスコアは、目標の6.5まで上がっていました。
大学進学をお手伝いしてもらう理由

そこからやっと、南アフリカの大学進学の手続きが始まりました。
南アフリカの大学入学の手続きは、代行業者はほとんどありません。
ネットにもほとんど情報はありません。
自分で大学に連絡を取り、教えられた政府の機関とも連絡を取り、全ての作業をしました。
しかし、ゆったり時間の流れる南アフリカでは返信は1ヶ月かかることも普通です。
どれくらい大変か、1つの例を上げると、
在日南アフリカ大使館に連絡を取り、大使館側から貰った「在南アフリカ日本大使館」の連絡先に電話をかけると、ただの南アフリカ人のおじさんの電話番号でした。
政府機関であっても、日本と南アフリカの連携は上手くいっているとは言えません。
そうしているうちに、1年が経ちました。
せっかくIELTSのスコアを取得したのに、どうしたらいいのか。
そこで、2020年4月に南アフリカに直接行き、手続きをすることに決めました。
・・・・・というときにコロナの到来です。南アフリカ行きが絶たれました。
高校卒業から夢にみた南アフリカへの進学、もう3年も経ってしまいました。
これは、もしかすると、神様からのお告げではないのか。
(南アフリカに今行くことで事件に巻き込まれたりとか!?)
諦める勇気を持つことも必要ではないか。
周りからは、「他の国にしたら?」と何度も言われて来ましたが、以前の私は聞く耳を持てませんでした。
でも、ここに来てやっと「南アフリカに移住する」ことが夢なら、他の国でもいいから大学を出て、まずは南アフリカで仕事を探せる状態になることが大切なのではないのかと思えたのです。
こうして、アフリカに比較的近い場所であるヨーロッパの中で大学探しをはじめました。
英語で授業が受けられることも魅力的でした。
そして、心配をたくさんかけている両親に少しでも負担をかけない、大学費や生活費の安い国を探しているときに、Good Friends Japanさんの記事を見つけました。
3年間、誰にも分からないことを目指すあまり、自分の意志だけで全てを決断してきた私は、なかなか人に頼る勇気が持てませんでした。
でも、南アフリカ以外の国を考えたこともなかった私。
「誰かに頼ることで少しでもはやく大学に入りたい」
と、勇気を出してGood Friends Japanさんに連絡をしました。
まだ21歳。だけどまわりは大学卒業の年。
いまからの大学進学が早いのか遅いのか、いろんな意見があると思います。
人生は、思い描いたようにはならないけれど、この3年間を無駄だったとは思いません。
人より長いギャップイヤー。
それでも「最高に人生を楽しめている」と言える自分に誇りを持って、大学進学という次のステップに向かっていきたいと思います。
